よみもの・連載

ひかる、汗 魔女の抱擁

魔女の抱擁

川西 蘭Ran Kawanishi

 遊歩道脇には木製のベンチが並び、サッカー用のピッチを眺められるようになっていた。週末にはサッカーの試合や練習で賑わうピッチも平日の昼間は閑散としている。観戦用のベンチも空いているはずだ。
 樹木の影のなかにあるベンチはすべて先客があった。
 空いているのは、陽光に照らされたベンチだけだ。座面がぎらぎらと光り、いかにも熱そうだ。そっと手を当てて、ベンチの温度を確かめる。熱いけれど、火傷(やけど)するほどではない。リュックを置き、座面にタオルを敷いた。しばらく待てば、座れるようになるだろう。
 帽子を取ると、それだけで解放感がある。籠もっていた熱が風の中に消えていく。ハンドタオルで額とこめかみ、そして首を拭った。
 水を飲もうと水筒を傾けた時に右手になにかがぶつかった。金属製のバットで叩かれたような感じだった。
 黒い影が目の前を通りすぎていく。それが電動自転車だとわかるまでに少し時間がかかった。走り去る電動自転車を追いかけるように、水筒が飲み口から水を零(こぼ)しながら転がっていく。拾おうとして右手を伸ばすと、手首がずきりと痛んだ。傷もなく、出血もしていない。手の甲が赤らんでいる。打撲だ。左手で右手の甲を撫(な)でながら、電動自転車を目で追う。うしろにチャイルドシート、たぶん、前には買い物カゴがついているのだろう。乗っているのは、日焼け対策を万全にした若い女性だ。電動自転車は歩く人をひらひらと交わしながら遠ざかっていく。彼女にぶつかったことに気づいていないのだろうか? 戻ってくる様子はもちろん、停止する気配もなかった。やがて、電動自転車は土手を脇道へと下り、住宅街に消えていった。
 彼女は軽くため息をつき、路面にできた水の跡をたどって、叢に転がり込んだ水筒を見つけた。
「婆」
 影が手元を覆った。指切りグローブを嵌(は)めた手が、叢から水筒を拾い上げた。草の切れ端と泥を指先で拭ってから、黒ずくめの少年は水筒を差し出した。
「怪我(けが)は?」
「大丈夫」

プロフィール

川西 蘭(かわにし・らん) 1960年広島県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。79年、大学在学中の19歳のとき『春一番が吹くまで』でデビュー。小説を多数発表したのちに出家。現在は作家と僧侶を兼業している。元東北芸術工科大学教授、現在武蔵野大学教授。著書に『パイレーツによろしく』『夏の少年』『セカンドウィンド』『ひかる汗』など。

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