よみもの・連載

ひかる、汗 魔女の抱擁

魔女の抱擁

川西 蘭Ran Kawanishi

 水筒を右手で受け取る。手首が少し痛んだ。左手に持ち替えて、水筒を調べた。蓋の付け根あたりに大きな凹みができて、蓋がきちんと閉まらなくなっていた。これでは水が漏れてしまう。修理もできそうになかった。
「座って」
 短く言って、少年はベンチを顎で指した。
 背負っていたリュックを下ろし、サイドポケットからポーチを取り出した。ポーチには応急手当て用品が入っている。少年は彼女の右手をそっと引き寄せ、手首にスプレーをかけた。冷たさが手首に染み込み、痛みを和らげる。余分な薬剤をティッシュで拭き取り、湿布を貼りつけた。スポーツ用の吸着力の高い湿布だ。
「ありがとう」
 手際の良さに感心する。「勇者フジヤマ(brave_fujiyama)」
 処置を終えると、少年はポーチをリュックのサイドポケットに押し込んだ。モンスター探索の冒険には怪我がつきものなのだろう。
「冷や水」
 ペットボトルを右手に押しつけた。言葉と違って、ペットボトルは冷えていない。
「水は……」
 用意している、と言いかけて、水筒が空になったことを思い出した。予備のボトルは持っていない。
「君のは?」
「これ」
 リュックから突き出ているパイプを指先で弾(はじ)いた。リュックの中に大きな容器があり、そこには充分な水が入っているのだ、と早口で説明した。
「年寄りには」ボトルのキャップを外し、直に口をつけて水を飲んだ。硬水だと一口でわかった。「冷や水がお似合いか」
「手首は?」
「大丈夫。大したことはない」
 気遣われるのは悪い気分ではない。無愛想な少年が急に身近な存在に感じられた。彼女はボトルからもう一口水を飲み、少年に笑いかけた。
「君のおかげ。ありがとう」
「デ・ナーダ」
 少年は両手を腰に当てて、伸びをするように空を見上げ、しばらく動きを止めたあと、息をふっと吐いて、彼女の手元に視線を戻した。
「魔法使いバーバ(mage_baba)」

プロフィール

川西 蘭(かわにし・らん) 1960年広島県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。79年、大学在学中の19歳のとき『春一番が吹くまで』でデビュー。小説を多数発表したのちに出家。現在は作家と僧侶を兼業している。元東北芸術工科大学教授、現在武蔵野大学教授。著書に『パイレーツによろしく』『夏の少年』『セカンドウィンド』『ひかる汗』など。

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