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サイバーセキュリティにくわしい小説家・一田和樹が出題する、ネット時代の新常識クイズがスタート!
知らないと世界から取り残されるかも!? 今回のテーマは「日本で始まる感染症抑止のための追跡方法」。


スマホを利用したコロナの感染抑止のための追跡はすでに20カ国以上で導入されており、国民の行動の把握に使われています。感染抑止に効果的とされている一方で、コロナ収束後もそのままその監視が続く可能性が懸念されています。
追跡にはいくつかの方法があります。もっとも直接的な方法はスマホから位置情報や連絡先を取得し、感染者を監視することです。これには当然、深刻なプライバシー問題がからむので、プライバシー保護を重視する国では導入しにくい面があります。
現在、注目を浴びているのが接触確認アプリ(濃厚接触者追跡アプリ、接触追跡アプリなどと呼ばれることもあります)です。過去に接触した人を記録しておき、その中から感染者が出た場合、通知が来ます。この方式を用いるとプライバシーに留意して、利用者から取得する情報を必要最低限に抑えることが可能です。有名な方式は、シンガポールが導入した方式とグーグルとアップルが共同で始める方式です。シンガポール方式では同国保健省が電話番号のみを利用します。グーグルとアップル方式では全く個人を識別できない形での運用も可能となっています。

当初このアプリ開発を主導してきた内閣官房の新型コロナウイルス感染症対策 テックチームはシンガポール方式を考えており、開発と運用を一般社団法人コード・フォー・ジャパンが担当することになっていました。
新型コロナウイルス感染症対策テックチーム Anti-Covid-19 Tech Teamキックオフ会議 開催(2020年4月6日、政府CIOポータル)
https://cio.go.jp/techteam_kickoff

シンガポール方式=Trace Togetherは、BlueTraceと呼ばれる方式を利用した位置情報を用いない追跡方法です。ランダムなIDをアプリ利用者に振り、同じアプリを利用しているスマホが特定時間以上近くで感知された場合、「濃厚接触」と見なして記録します。接触相手の情報は暗号化されたテンポラリーID(さきほどのIDとは異なるもの)のみがスマホに記録されます。濃厚接触した相手のテンポラリーIDは21日間保存され、その後消去されます。
感染が明らかになった場合は、シンガポール保健省が利用者に対して濃厚接触者の情報の提供を求めます。利用者が情報提供を了承すると感染者のスマホから濃厚接触者との接触履歴を入手し、濃厚接触者に電話で連絡し、過去に感染者と濃厚接触したことを伝え、その後のケアならびに感染拡大を防ぐための対策を講じます。
この方式だと濃厚接触した相手の個人情報を取得することがないのでプライバシーが守られます。ただし、電話番号はシンガポール保健省のサーバーに保管されており、それを使って連絡を行うことになります。
BlueTraceでは感染がわかった際、自動的に通知を送ることも可能ですが、シンガポールでは濃厚接触者に直接電話などで連絡し、接触状況などを確認するようにしています。これは誤検知を減らし、適切な対応ができるようにするためで、BlueTraceは自動ではなく、人間が確認することを推奨しています。
Trace Togetherシステムが利用する情報の内訳は、電話番号、ID、テンポラリーID、接触履歴の4つです。このうち電話番号のみが本人を特定可能な情報です。IDはこのシステムのために生成されるランダムなものです。テンポラリーIDはIDとは異なり、濃厚接触をした際に相手と交換するためだけに使われ、一定時間おきに更新されます(15分を推奨)。その内容は、ID、開始時間、有効期限(このID自身の有効期限)などの情報です。このうち、シンガポール保健省のサーバーに保管されるのは電話番号、IDの2つで、それ以外は利用者のスマホに保存されます。
シンガポールでは対応していませんが、BlueTrace方式は同じ方式を利用する他の国と情報を共有することができます。国をまたがって感染者が移動した場合でも、濃厚接触した相手に連絡することを可能としています。

TraceTogether Privacy Safeguards https://www.tracetogether.gov.sg
BlueTrace https://bluetrace.io

ただし、その有効性には疑問があります。先日、オックスフォード大学のチームがこの方式の有効性を検証するレポートを発表しました。それによれば全人口のおよそ60%がこのアプリを利用すれば充分な抑止効果が期待できるとしています。それ以下でも一定の効果はあるともしていますが、シンガポールでの利用者は2020年5月14日時点でおよそ140万人=全人口の約25%であり、はるかにおよびません。

Digital contact tracing can slow or even stop coronavirus transmission and ease us out of lockdown(2020年4月16日、Oxford University)
https://www.research.ox.ac.uk/Article/2020-04-16-digital-contact-tracing-can-slow-or-even-stop-coronavirus-transmission-and-ease-us-out-of-lockdown

また、シンガポール政府でアプリの開発を主導した責任者は自身のブログで、接触確認アプリは万能ではなく限界があり、技術に頼りすぎるのは危険であると警告しています。

Automated contact tracing is not a coronavirus panacea(2020年4月10日、Jason Bay)
https://blog.gds-gov.tech/automated-contact-tracing-is-not-a-coronavirus-panacea-57fb3ce61d98

シンガポールは現在東南アジアでもっとも感染者が多く、抑止に成功しているとはいえない状況です。各国で接触確認アプリ導入の動きがありますが、その効果はまだ確認されたわけではないのです。技術先行の絵に描いた餅になる可能性は否定できません。

現在ある追跡方式の中ではもっともプライバシーに配慮した方式のひとつと言えますが、完全に匿名なわけではありません。どのような方法を取ろうとも最終的に本人に知らせなければいけない以上、個人を特定し、コンタクトする情報が必要になります。電話番号を渡せるくらい政府を信用することができるなら、回りくどい方式を取らずに位置情報まで提供してもよい、という考え方もできます。もちろんTrace Togetherの方が、よりプライバシーに対する配慮があるのは確かです。

その後、2020年4月10日にグーグルとアップルが合同で接触確認の仕組みを発表し、1国1主体(公衆衛生当局など)としました。これを受けて日本においては厚労省が主体となり、開発と運用を行うことになりました。スマホが特定時間以上近くにいたことの検知と、スマホ間の通信、IDなどの管理にグーグルとアップルの共同方式を利用するようです。コード・フォー・ジャパンの方が、それまでの開発の経緯などをまとめて下記のサイトに公開しています。

接触確認アプリ「まもりあいJapan」開発の経緯と今後について(2020年5月11日、Hal Seki)
https://note.com/hal_sk/n/n0e05f3482d28

今後は厚労省が主体となって早期のリリースを目指すことになります。

日本での接触確認アプリの導入には課題があります。厚労省が主導する形で開発と運用を行うことは決まっていますが、効果をあげるためには開発だけでなく、感染確認や接触確認など人手による運用を支える人的資源が必要になります。その態勢を短期間に確立しなければなりません。資料を見る限りでは、シンガポール方式と異なり電話確認を行わず利用者本人が登録する方式のようです。人的資源は少なくてすみますが、代わりに効果を上げるための条件である人手による確認はできなくなります。
また、このアプリは迅速かつ正確な検査態勢を前提としています。過去に接触した相手が感染したと通知を受けた場合、検査が必要になります。資料によれば3.55日以内に通知すれば27%の感染抑制効果が見込めるそうですが、日本で3.55日以内に検査結果を出せるかは疑問です。2020年5月13日にコロナに感染した力士が死亡しました。5月4日に発症しましたが、なかなか検査を受けることができず、8日に受けた簡易検査では陰性でした。しかし症状が悪化したため10日に検査した結果、陽性とわかりました。発症から検査まで6日かかる状況ではアプリの効果はかなり限定的になると考えられます。
過去の接触者に対して一律に14日間の自己隔離をするように指導することも可能ですが、誤検知の問題があります。また本人が名乗り出ない限り要自己隔離者を特定できない仕組みのため、守らない人々が多数出ることが予想されます。
そして前に書いたように普及率を高めることがもっとも重要なのですが、そのための具体的な方法はまだ発表されていません。


さらに近く稼働する予定の厚労省の「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(仮称)」に連携する予定とされていますが、その詳細は不明です。このシステムはこれまで手書きとFAXでやりとりしていた感染者の情報をオンライン化するもので、全国の保健所や都道府県、および政府の関係機関で共有されます。検査を受けた人にIDパスワードを与え、氏名、住所、検査結果などを入力してもらうようになっています。濃厚接触者も同様にIDパスワードを与えて状態を入力してもらいます。さきほどまでご紹介してきた接触確認アプリとは異なり、こちらは完全に個人情報を登録するシステムです。そしてここに登録した情報は日本全国の保健所と自治体および政府関係機関で閲覧可能となります。どこまでどのような情報を連携するのか大変気になります。

新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(仮称)の導入について(2020年4月30日、厚労省)
https://www.mhlw.go.jp/content/000626714.pdf

こうした日本政府の動きに対して大阪大学の社会技術共創研究センター (ELSIセンター)では、10の視点と3つの提言をまとめています。なお、現在はドラフト段階であり、じょじょにバージョンがあがっています。下記が最新版です。

「接触確認アプリとELSI に関する10の視点と3の提言 Ver.0.9」(2020年5月12日、社会技術共創研究センター)
https://elsi.osaka-u.ac.jp/news/389

3つの提言は下記のとおりです。

  1. 接触確認アプリの目的をはっきり教えてください
    資料によって書かれている目的が異なるため、なにが目的なのかわからないことを指摘しています。
  2. 接触確認アプリ単体だけでなく、連携予定のシステムも含めた全体をチェックした検証結果を教えてください
    接触確認アプリは「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(仮称)」との連携が予定されているものの詳細は公開されていません。また、その他にも連携するものがある可能性もあります。
  3. 「濃厚接触」の意味や精度に関する啓発活動や、差別・偏見に対するセーフガードも検討してください

シンガポールでアプリ開発を主導した方のブログには最初に揶揄(やゆ)するような口調でこう書いてあります。「新しい技術を導入するからわくわくしているだろう。でも接触確認アプリは万能じゃない」。そして技術に頼った自動運用には限界があることを指摘し、人手による確認が効果を上げるためには必要だと説いているのです。
(本記事は2020年5月14日に書かれたものです)

プロフィール

一田和樹(いちだ かずき) 東京生まれ。経営コンサルタント会社社長、IT企業の常務取締役などを歴任後、2006年に退任。
10年、「檻の中の少女」 で島田荘司選 第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞し、デビュー。
著書に『女子高生ハッカー鈴木沙穂梨と0.02ミリの冒険』『天才ハッカー安部響子と五分間の相棒』『キリストゲーム』『絶望トレジャー』など。
http://www.ichida-kazuki.com/ Twitter:@K_Ichida

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