よみもの・連載

今日も、日本語学校で

第3回「日本人だから教えられると思ってた
     〜〜日本語教師になるまで」

北村浩子Hiroko Kitamura

 問題は実習の授業だった。
 まず講師が教案に沿って手本を示し、そのあと一人ずつ教壇に立って、クラスの仲間を学習者に見立ててシミュレーションをするのだが、初めて自分の番が来て、仲間たちを目の前にしたとき、恐怖を感じた。
 今、ここにいる彼らは全員日本人で、日本語が通じる。
 でも「本番」では、日本語だけでなく、英語も通じないかもしれない。
 言葉の通じない人たちが、さあ教えてください、と揃(そろ)って自分を見ている──。
 うわ、それって怖いじゃん。すっごく怖い。この人何言ってんの、分かんないって顔されるかもしれない。自分はそんな仕事をしようとしているわけ? やばい、無理かも。
 おたおたしながら「えー、みなさん」と声を出す。講師に「フィラーは、特に最初は気を付けてください」と注意される。フィラーとは、あのー、とか、えーと、のような、発話の際に出てしまう音のことだ。そうだった。緊張で忘れてしまった。
「北村さーん、アナウンサーでしょー」。人懐こいクラスメイトが言う。人前で喋(しゃべ)るのには慣れてるでしょ、の意味だろう。笑ってみせるが緊張は解けない。毎日の勉強の先に、外国の人に対する授業がある。それを承知で、というかそれをするためにここに通っているのに、無理かも、やりたくないと思っている自分の矛盾に困惑する。
 だけど、たとえば看護師さんだって、看護学校時代に「患者さんに注射? ムリムリ!」と思っていたかもしれないよね……。
 ともかく、辞めるという選択肢はないのだった。次の日も、その次の日も否応なく実習はあった。課題に沿って教案を書き、模擬授業をし、クラスメイトと講師から批評をもらい続けた。やがて夏になり、トレーニングティーチャーのレッスンを受けたい(受けてもいい)という外国の人に向けて授業をした。帰りの電車の中で思い返して恥ずかしさで身悶(みもだ)えしてしまうくらい、1分1秒が必死だった。

 10月下旬の検定試験に向けて願書を出した。養成講座も終わりに近づいていた。
 9月、最後のテストを受け、成績表をもらった。理論科目5区分のうち4つがA、1つがB。実技・実習は、実技がB、教壇実習がA。半端ない達成感に包まれ、肩の荷が下りたような気持ちになったが、わたしの場合、登山で言えばまだ6合目くらいなのだった。
 Kさんがくれたムック本を開く。試験日まで、彼女のように繰り返しやることにした。縁起を担ぎたい気持ちもあった。重要な用語を書いたメモをお風呂の中でめくりながら、約20年ぶりの受験なんだなあとひとりで笑った。
 試験会場は東大駒場キャンパス。初めて東大の校舎に入った。時間は9時50分から16時40分。1日がかりで、くたくたになった。結果は年末に、不合格なら葉書、合格なら封書で届くという。
 京王井の頭線に乗って渋谷まで戻った。ホームの混雑の中にクラスメイトの広い背中があった。追いかけて、お疲れ! 長かったね! と言おうと思ったが、改札の手前で見失ってしまった。

 情けないことに、あの模擬授業のときの緊張から、いまだにわたしは解放されていない。ラジオの生放送時の緊張は慣れや経験によって減っていったけれど、日本語学校では毎回、授業の前に必ずお腹が痛くなる。「頑張ればうまくいく」わけではないからだ。しっかり準備をして臨んでも、学生たちが「?」という顔をすることがある。Kさんの合格証書を見て、日本人だから正しい日本語を教えられると一瞬思った自分の無邪気さを、そんなときに思い出す。
 自分の合格証書も、ときどき眺める。
 12月16日だった。
「おめでとうございます」
 配達員の男性はそう言って封書を差し出した。え、どうして? と目で問うと、男性は、ここに、と指で文字を示した。表に「平成二十年度 日本語教育能力検定試験 結果通知書 合格証書 在中」と赤く、太く書かれていた。
「おめでとうございます」
 男性はもう一度言ってくれた。ありがとうございます、と言えたあの日の嬉しさを今も忘れない。