よみもの・連載

葬儀屋(アンダーテイカー)

第一話 葬儀屋(アンダーテイカー)〈後〉

黒木あるじAruji Kuroki

 ゴングと同時に尾崎がすばやいステップで多摩川の懐(ふところ)に潜(もぐ)りこみ、がしりと右手首を掴(つか)む。振りほどこうと暴れる〈怪魚〉を意に介さず、赤髪の闘士は多摩川の顎(あご)めがけ、右肘(みぎひじ)をアッパーカットの要領で二度三度と食らわせていった。
「カチ上げ式エルボーか。初手からエグいねえ」
 メモ帳にペンを走らせながら、須原がため息を吐く。
「あの技、そんなに強烈なんですか」
「頬や首すじへ水平に打ちこむ通常のエルボーと違って、下から上に突きあげられると力を逃がしづらいんだよ。おまけに手首を握られているから、なおのことダメージも大きい。尾崎ちゃん、早々に終わらせる気だな」
 俺が即席の〈プロレス技講座〉を拝聴しているあいだも、エルボーは止(や)まなかった。多摩川の歯が鳴る、がちん、がちん、という厭(いや)な音がセコンドまで届く。華やかな技の攻防を期待していた観客たちは、妙な雰囲気に反応しあぐねているようだった。
 十数発あまり連打して、尾崎がようやく手首を離した。うつ伏せに崩れ落ちた多摩川の髪を掴んで頭を引き起こすや、長い腕を巻きつける。
 ヘッドロック──序盤で使われる〈様子見〉の技だが、いま仕掛けているそれは、俺の見慣れたフォームではなかった。通常、ヘッドロックは片膝をついて相手の頭部を締めあげる。しかし尾崎は両足をまっすぐ伸ばし、低く腰を落としていた。多摩川はべたりと腹這(ば)いでマットに寝そべっている。あれでは、掛け手が腕をほどかないかぎり永遠に逃げられない。俺の動揺を代弁するかのように、須原が「もう極(き)める気かよ」と感嘆した。
「えっ、さすがに早くないですか」
「技らしい技を出さないで〈格の違い〉を観客に叩(たた)きこむつもりなのかもね。それでも多摩川さんなら対抗する秘策があると思ったんだけど……買いかぶりだったかな」
 同感だった。
 意外なことに、俺はひどく落胆していた。
 わけのわからない特訓に散々つきあわせておきながら、もう終わりとは。
 結局、サーモンはこの程度の選手だったのか。
 やはり葬儀屋ではなかったのか。
 と、落ちこむこちらを嘲笑(あざわら)うように、多摩川が全身をびくびくと波打たせた。尺取り虫を思わせる動きに女性客が金切り声をあげる。リングサイドで「シャケの産卵だ!」と誰かが叫び、戸惑いまじりの笑いがわずかに起こった。状況が把握できず混乱する会場──そのなかで俺はひとり、鳥肌を立てていた。
 あれは、ブレイクダンスの〈ワーム〉だ。
 もしや多摩川はこの展開を予期して、あのスタジオに。
 奇怪なムーブに度肝を抜かれたのか、尾崎がわずかに力を緩める。そのスキを見逃さず、多摩川は身体をくねらせて後退し、腕輪から脱出した。コミカルな動きにもかかわらず笑う者は誰もいない。先ほどの異様な攻撃が尾を引き、ホール全体に生ぬるい空気が漂っていた。

プロフィール

黒木あるじ(くろき・あるじ) 1976年青森県生まれ。東北芸術工科大学卒。2009年『おまもり』で第7回ビーケーワン怪談大賞・佳作を受賞。同年『ささやき』で第1回『幽』怪談実話コンテストブンまわし賞を受賞、10年『怪談実話 震(ふるえ)』でデビュー。実話怪談の分野で活躍し、多大な支持を得る。17年「小説すばる」誌にプロレス小説「掃除屋」を発表、一般小説の分野へ活動の幅を広げる。同作は19年7月に『掃除屋 プロレス始末伝』として集英社文庫より刊行され話題に。他の著書に「怪談実話」シリーズ、「実録怪談」シリーズ、『黒木魔奇録』など。

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