よみもの・連載

葬儀屋(アンダーテイカー)

第一話 葬儀屋(アンダーテイカー)〈後〉

黒木あるじAruji Kuroki

 四つん這いの尾崎が上体を起こしたかと思うと、すさまじい勢いで前方に振りおろした。石を打つような鈍い音。多摩川の額がぱっくり割れ、一瞬で顔面が赤く染まる。それでも〈怪魚〉に動じた様子はない。長髪を掻きあげて鮭の切り身を思わせる肉をさらけだし、にやにやと笑っている。尾崎もひるまず、血まみれの前頭部へ何度も何度も頭突きをお見舞いさせた。使い慣れていないのが一目瞭然の、不器用すぎるヘッドバットだった。
 鮮血がマットに散る。鈍い音が反響している。
「……がんばれ尾崎!」
「負けるなッ、打ち勝て!」
 静寂に包まれていたホールへ徐々に歓声が戻ってくる。まもなく、その声は波のように広がり、一分も経たずして空気が震えるほどの轟(とどろ)きに変わった。
「尾崎! 尾崎! 尾崎!」
 手拍子に合わせ、最前列の観客が足を踏み鳴らす。まもなく、根比べに負けた〈怪魚〉が白目をむいて前のめりに倒れた。
「うおおおおっ」
 赤毛の馬がいななく。叫びはもう言葉になっていない。意識があるかさえも怪しい。本能だけで闘っているように見える。尾崎は朦朧(もうろう)とした目つきでうつ伏せの背にまたがると、多摩川の両足を脇に挟みこんで上体をめいっぱい反りあげた。
 逆エビ固め──新人時代に唯一使うことを許された技。尾崎が五年にわたってかけ続けた、腐れ縁の旧友。
「あれはマズいぞッ」
 俺と須原は声を揃(そろ)えて叫んだ。
 尾崎の両足が、ぴんと前方に伸びている。
 通常、逆エビ固めの類は掛け手が正座に近い形で膝を折るか、しゃがんだ体勢で相手の背を反らせていく。体重をコントロールしなければ事故につながりかねないからだ。しかし、尾崎はまるでボートを漕(こ)ぐような姿勢をとり、自身の体重をすべて浴びせかけている。そのため多摩川の身体は、人体とは思えないほど極端なU字に曲がっていた。
「誰か早く止めろッ。あのままじゃ壊れるッ」
 狼狽(ろうばい)する須原の横で、俺は戦慄していた。付き人として多摩川の身を案じたからではない。気づいてしまったからだ。
 多摩川のひん曲がった身体──あれは、ヨガのポーズだ。
 鳩の王だ。
 例の特訓はこのためか。多摩川はヘッドロックのみならず、この結末も予測していたというのか。

プロフィール

黒木あるじ(くろき・あるじ) 1976年青森県生まれ。東北芸術工科大学卒。2009年『おまもり』で第7回ビーケーワン怪談大賞・佳作を受賞。同年『ささやき』で第1回『幽』怪談実話コンテストブンまわし賞を受賞、10年『怪談実話 震(ふるえ)』でデビュー。実話怪談の分野で活躍し、多大な支持を得る。17年「小説すばる」誌にプロレス小説「掃除屋」を発表、一般小説の分野へ活動の幅を広げる。同作は19年7月に『掃除屋 プロレス始末伝』として集英社文庫より刊行され話題に。他の著書に「怪談実話」シリーズ、「実録怪談」シリーズ、『黒木魔奇録』など。

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