よみもの・連載

葬儀屋(アンダーテイカー)

第二話 咬ませ犬(アンダードッグ)〈前〉

黒木あるじAruji Kuroki


「……四百ッ!」
 倉庫を改装した道場いっぱいに怒声が響く。続けて竹刀(しない)が風を切り、床を鳴らした。
 激しい音にあわせ、俺は床についている腕をぴんと伸ばし、上体を大きく反らせた──つもりだったのだが。
「なんだ梶本(かじもと)、その屁(へ)っぴり腰はッ!」
 古参レスラー・小沢堂鉄(おざわどうてつ)に尻を蹴り飛ばされ、コンクリートに溜(た)まった自分の汗の中へ顔面から突っこむ。ふらつきながら体勢を立てなおそうとする後頭部に、竹刀の先端がぐりぐりと押しつけられた。
「それでも腕立てかよ。土下座の間違いじゃねえのか」
 頭上で堂鉄の含み笑いが聞こえる。屈辱的な竹刀を払いのけたくても、腕はすっかり痺(しび)れて使いものにならない。掠(かす)れ声で「押忍(おす)」と答えるのが精いっぱいだった。隣ではぶざまな同期などおかまいなしに、司藤武士(しどうたけし)が短く息を吐きながら黙々と腕立て伏せを続けている。
 腕立て伏せ──といっても、通常のそれではない。
 ライオン・プッシュアップ。脚を大きく開いて上半身を弓なりに反らせる、名前どおり獅子の遠吠(とおぼ)えじみた姿勢でおこなうトレーニングだ。背筋と大胸筋への効果が高い反面、身体への負荷は通常の腕立て伏せよりはるかにキツい。そんな過酷すぎる〈咆哮(ほうこう)〉を五百回。まさしく地獄のメニューである。
 地獄には鬼がつきものだが、かたわらで睨(にら)みをきかせている男はどんな鬼よりも恐ろしい存在だった。事実、堂鉄は〈鬼喰(おにく)いの鉄〉なる異名を持っている。かくして鬼をも食らう教官にしごかれながら、俺と司藤の新弟子コンビはいつ来るとも知れぬデビューの日に向け、トレーニングに勤(いそ)しんでいる──というわけだ。
 もっとも、おなじ新弟子でもその差は歴然としている。
 ギブアップ寸前の俺に比べ、司藤は涼しい顔でメニューをこなしていた。最近は先輩のスパーリングにたびたび交ざり、肉体もここ一ヶ月でさらに厚みを増している。いっぽうの俺といえば、入門から四ヶ月経(た)ったいまもリングにあがることすら許されず、身体(からだ)も鍛えた素人の域を出ていない。
 この貧相な体躯(たいく)のせいで、堂鉄をはじめ先輩連中の風あたりはすこぶる強かった。愛の鞭(むち)といえば聞こえは良いが、愛があろうがなかろうが鞭は鞭だ。痛みに変わりはない。おまけに〈ある男〉の付き人になって以降、俺に対するあつかいはさらに苛烈さを増している。

プロフィール

黒木あるじ(くろき・あるじ) 1976年青森県生まれ。東北芸術工科大学卒。2009年『おまもり』で第7回ビーケーワン怪談大賞・佳作を受賞。同年『ささやき』で第1回『幽』怪談実話コンテストブンまわし賞を受賞、10年『怪談実話 震(ふるえ)』でデビュー。実話怪談の分野で活躍し、多大な支持を得る。17年「小説すばる」誌にプロレス小説「掃除屋」を発表、一般小説の分野へ活動の幅を広げる。同作は19年7月に『掃除屋 プロレス始末伝』として集英社文庫より刊行され話題に。他の著書に「怪談実話」シリーズ、「実録怪談」シリーズ、『黒木魔奇録』など。

Back number