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「イギリス・オウム紀行」
「イギリス・オウム紀行」 森達也

 2月に高橋克也の裁判に証人として出廷した井上嘉浩は、「地下鉄サリン事件は『宗教戦争が起こる』とする麻原の予言を成就させるために事件を起こしたと思った」と証言したという。
 述語である「起こしたと思った」のニュアンスが今一つわかりづらいが、いずれにせよ元オウム真理教の教祖である麻原彰晃被告の法廷で証言した「間近に迫った強制捜査をかわすために麻原が専用車両のリムジン内で側近たちにサリンをまくことを指示した」を、井上は自ら覆したことになる。
 ならばこのリムジン謀議を柱にして共謀共同正犯を成立させた麻原判決は無効ではないかとの視点が、メディアから提示されてもよいはずだ。でも(僕の知るかぎり)どこからもあがらない。実のところ井上がリムジン謀議を自ら否定したことはこれが初めてではないのだが、これまでもそんな声は聞いたことがない。
 そもそも高橋の法廷だけではなく、死刑が確定した多くの信者たちを証人として訊問した平田信や菊地直子の法廷にも、なぜ最大のキーパーソンである麻原を証人として呼ばないのか。そうした疑問も目にしたことはない。
 もちろんリムジン謀議が否定されたからといって、麻原が無罪である(指示をしていない)と短絡するつもりはない。指示はあっただろう。ただしそのメカニズムを、絶対的な独裁者が狂信的に服従する側近たちに下したと考えるなら、それは子供向けヒーロー漫画に登場する悪の結社のストーリーだ。
 事件の背景に駆動する麻原と側近たちの関係には、相互作用的な忖度が強く働いていたと僕は推測する。そしてこの構造は、ナチスドイツのホロコーストやクメール・ルージュの虐殺、あるいは文化大革命や大日本帝国の御前会議などにも共通する。
 つまりとても普遍的な構造だ。
 どんな事件や現象にも普遍性と特異性がある。でも大事件であればあるほど、社会は特異性に強く反応し、メディアもそればかりを強調する。こうして普遍性が抜け落ちて特異性ばかりが語り伝えられ、事件の本質やメカニズムがわからなくなる。オウム事件はその典型だ。
 忘れている人は多いが、麻原法廷には二審も三審もない。戦後最大級の事件の首謀者とされる男の法廷は、一審だけで死刑が確定した。そして一審の最中に精神が混濁した麻原は、ほとんど意味のある発言をしていない。特に地下鉄サリン事件において、彼がどのように指示をしたのか、動機は何なのか、ほとんど明らかにされていない。
 つまりオウム事件の根幹は何も明らかにされていない。
 犯人は捕まえたけれど動機がわからない。ならば不安や恐怖が燻り続けることは当然だ。その帰結として社会は変質する。それを一言にすれば「集団化」だ。不安や恐怖が燻り続けることで、人は一人でいることが怖くなる。多くの人と連帯したくなる。集団の一員としての実感を求め始める。
 こうして形成された集団は同質性を求める過程で、集団内部の異質な存在を発見し、これを排除しようとする。つまり学校のいじめと構造は同じだ。それが社会全体で起きる。さらに集団は全員で同じ動きをしたくなる。だから号令を発する強いリーダーが支持される。そして集団は集団の外部に、「共通の敵」を求めたくなる。



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〈プロフィール〉
森達也 もり・たつや
1956年広島県呉市生まれ。立教大学卒業。86年テレビ番組制作会社に入社、ドキュメンタリーを中心に数々の作品を手がける。98年オウム真理教の荒木浩を主人公とする映画『A』を、2001年には続編『A2』を発表。現在は紙媒体での執筆活動が中心。11年『A3』で第33回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『放送禁止歌』『ドキュメンタリーは嘘をつく』『ぼくの歌、みんなの歌』『死刑』『オカルト』『すべての戦争は自衛意識から始まる』他多数。
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A3 上/森 達也

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