連載
アイランド・ホッパー
2 礼文島 中澤 日菜子 Hinako Nakazawa

 翌日も残念ながら曇り。昨日より雲が厚いのか、利尻山も見えない。
 ホテルを朝八時に出発し、香深港へ。今日は定期観光バスに乗って礼文島の見どころを周る予定。二階建ての大型バスは、島の南端にあたる香深港を起点に東海岸に沿って一路北上する。西海岸は険しい絶壁が続くため周回道路はなく、北端まで行ったらほぼ同じ道を帰る。

 まず向かったのは澄海(すかい)岬。島の北西部にある、その名の通り透明度の高い湾だ。展望台から見下ろす海は濃淡さまざまな青が美しい。茶色っぽく見えるところは昆布の群生している部分。「この昆布を食べてウニは美味しく育つのですよ」ガイドさんのつぶやきに激しく納得するわたし。
 澄海岬を出たバスはいったん内陸に戻り、島に唯一残されたレブンアツモリソウの群生地へ。六月上旬、いまはちょうどレブンアツモリソウの開花期にあたる。年に二週間しか咲かない、しかも礼文島でもここでしかまとまって見られないという「期間および地域限定」の超レアな高山植物なのだ。
「むかしは島のあちこちで見られました。そのかたちから『風船草』と呼ばれ、子どもたちがぱんぱん割って遊んだものです。けれども空気や土壌の汚染により繊細なこの花は激減してしまい、いまでは自然のものは三〜四千株と推定されるほど貴重な植物になってしまいました」ガイドさんの説明にレア気分はいよいよ高まる。
 群生地に到着。山間の湿地帯となった崖沿いで、やや緑色がかった白い花が、あっちに数株、こっちに数株といったぐあいにてんてんと咲いている。清楚なそのすがたは、御簾(みす)のかげでそっとほほ笑む平安朝の姫君のようだ。可憐で控えめ。そして病弱、もとい繊細。カメラを向ける我々に向かい、
「紫外線に弱い花です。強い刺激を与えてはいけません。カメラのフラッシュもお切りください」告げるガイドさん。フラッシュ不可!? そんな植物、初めてだ。とはいえ確かに目の前のレブンアツモリソウを見ていると、我われのような庶民が侵してはならぬ「高貴さ」を秘めている気がしてくる。じろじろ見たりせず、こちらもそっと遠慮がちに――
 と、「あらやだ」熟年女性の声とともに、がさり、なにかが草地に落ちる音が。振り向く。高貴な姫の寝所に、でかいスマホが落っこちていた。「あらら」つぶやきながら柵を越え、スマホを拾い上げるおばさん。
「……フラッシュすら厳禁、でしたよねぇ」ぼう然と立ちすくむM嬢に、
「下手すりゃ捕まるな、おばさん……」こたえるわたし。じっさい盗掘があとを絶たないので、パトロール人員を配備し、監視カメラで二十四時間見張っているという。
 高貴な姫よ、がさつな世間の荒波を乗り越え、たくましく生き抜いておくれ。祈りながらその場をあとにするわたしとM嬢であった。



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〈プロフィール〉
中澤 日菜子(なかざわ ひなこ)
1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学 文学部卒業。日本劇作家協会会員。
2013年に『柿の木、枇杷も木』で第八回小説現代長編新人賞を受賞。翌年タイトルを『お父さんと伊藤さん』に改め同作で小説家デビュー。16年映画化された。最新刊は「ニュータウンクロニクル」(光文社刊)。2017年11月号より小説すばるで長編小説「石灯る夜」を連載中。
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