連載
アイランド・ホッパー
3 八丈島 中澤 日菜子 Hinako Nakazawa

「これは食べられますか」すかさず尋ねるわたし。
「食べられるけど、ちっこいから食べでがないよ」と、これまたおじさんにリリースされてしまう。十センチでも小さいのか……こりゃ思ったよりハードル高いかも。
「狙うのはムロアジ。ほらあそこ集団で回遊してるでしょ、あれを釣らんことにゃ」おじさんに諭され、目を凝らすが、どれも同じ魚にしか見えない。だががんばるしかない。我われのお昼は彼らにかかっているのだ。彼らには迷惑かもしれないが。

「ほら群れが来た、早くはやく」急かされ、わたわたと竿を垂れるわたしとM嬢。こつん。硬い手応えが来て、いまだ、と引くが、針にはなにもかかっていない。
 二時間半、そんな感じで粘ってみたものの結局ムロアジは一匹も釣れず、ただ餌のコマセが減ってゆくだけ。
「お昼を釣りにきたつもりが、逆に彼らにお昼を食べさせる結果になっちゃいましたね……」うなだれるM嬢。その通りだ。悲しい。「釣れなくて申し訳ないなあ。さいきん海水の温度が異常に高くてさ、ムロアジ、冷たいところに行っちゃうんだよ」しょげるおじさん。温暖化の影響がこんなところにもあらわれているのだろうか。都市部とはまた違う「変化の様相」を身をもって知った。
 空っぽのクーラーボックスを提げて食堂に戻る。そんな我われを憐れんだのかオーナーさんが「釣れたけど食べないからって置いてったひとがいるから」と、同じ堤防出身のムロアジ四匹を、タタキと塩焼きにして出してくれた。新鮮なムロアジはそれはそれは美味しかったけれど、「これがじぶんで釣り上げたものだったら」、ついつい愚痴が出てしまうわたしであった。

 昼食後ホテルでひと休みしてから、今度は八丈富士に広がる「ふれあい牧場」へ。ここでは食用の黒毛和牛十数頭と、乳牛用のジャージー種一頭を放牧している。

 標高八五四メートル、稜線の美しい八丈富士、そのちょうど中腹あたりが牧草地として開墾され、牛たちがのんびりと草を食んでいる。眼下に八丈の町と波穏やかな太平洋が見渡せる。吹きあげてくる風が心地よい。風景を楽しみながら歩いていると面白い看板を見つけた。

『牛には一頭ずつ名前がついているので呼んであげてください。オスは漢字、メスはひらがなの名前です』。言われて見ると、牛の耳につけられたタグに「あき」だの「次郎」だのといった名前が書かれてある。うち、一番柵に近いところに座り込む黒毛和牛の「みつ」ちゃんに目をつけ、「みつー。みつちゃん」と呼びかけてみる。だがいっこうに反応しない。どころか敢えて無視している気配すら窺われる。どうやら今日は魚につづいて牛にまで無視される日なのらしい。
 まあいいさ。みつよ、元気に育てよ。こころのなかで別れを告げ、山の緑、海の青、そして流れゆく雲の白、その壮大な光景をもう一度目に焼きつけて牧場を後にし、予約しておいた寿司屋へ向かう。今夜は来島前から楽しみにしていた島ずしを食べる予定。



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〈プロフィール〉
中澤 日菜子(なかざわ ひなこ)
1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学 文学部卒業。日本劇作家協会会員。
2013年に『柿の木、枇杷も木』で第八回小説現代長編新人賞を受賞。翌年タイトルを『お父さんと伊藤さん』に改め同作で小説家デビュー。16年映画化された。最新刊は「ニュータウンクロニクル」(光文社刊)。2017年11月号より小説すばるで長編小説「石灯る夜」を連載中。
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