連載
アイランド・ホッパー
7 天草 中澤 日菜子 Hinako Nakazawa

 食後は「海月」から徒歩5分ほどの「ア津教会」を訪ねる。教会の建つ土地はかつて禁教時代に絵踏みが行われていた大庄屋の役宅跡。さらに現在の祭壇は、まさに絵踏みをしたその場所に置かれている。「迫害の記憶を忘れず、信仰復活の象徴としたい」という信徒の強い思いが伝わってくる。

 大江教会とは違い石で造られた建物は、雨に濡れ、外壁が黒く濡れそぼっていた。なかに入って驚く。左右に分かれた信徒席には、なんと畳が敷きつめられている。ゴシック様式の建物に、畳。なかなかお目にかかれない風景だと思う。教会を見上げながら松浦さんが説明してくれる。
「大江にせよア津にせよ、海からよく見えるところに教会があるでしょう。これは『この地は布教が済んでいるぞ。だから上陸してもだいじょうぶだぞ』と、自国の船乗りに知らせるためなんです。かつてのバチカンは言ってみれば巨大なスパイ機関でもあった。ヨーロッパを出た宣教師たちはマカオで教育を受け、アジア各地に散って行きました。訪れた土地で有力者を改宗させ、領民に教えを広める。同時にその国の情報をバチカンに伝える役目も帯びていたんです。さらには貿易商人とも深い繋がりがあり『信者にならない限り貿易は行わない』と大名に持ちかけた。戦国時代の大名たちは、舶来品、とくに火薬を手に入れるためこぞって改宗した。つまり宗教と商売がセットだったわけです」
 な、なんというしたたかさ……。信仰に命を捧げた神父たちに、そんな「俗」な一面があったとは。イメージや殉教の悲劇だけに捉われていると、歴史の真実を見誤ってしまうのかもしれない。
 そんなことを考えながら細い路地を歩き、車に戻る。次の目的地は代々水方を務めた山下家。十一代目当主にお話を聞き、「天草で一番古い」といわれる築180年のご自宅に現存する「隠し部屋」を見学させていただく予定だ。
 時刻は午後3時過ぎ。朝から降ったりやんだりの天気だったが、ここにきていちだんと雨脚が強くなってくる。
「雲もだいぶ垂れ込めて来ましたねぇ」心配そうに空を見上げるM嬢。頷くわたし。なにせ今日のハイライトは、禁教時代に水方がこっそり聖水を汲んだ湧き水、その名も「妖蛇畑」の探索にあるからだ。
「妖蛇畑」は簡単には見つからないよう、かなり奥まった山のなかにあるという。不気味な名前も、ひとが近づかないための知恵のひとつ。弾圧に苦しんだ信者には申し訳ないが、なんだかわくわくするではないか。
「だいじょうぶ。ぼく、こんなこともあろうかと長靴や軍手も用意してきましたから!」青木さんのことばが頼もしい。ともあれ、我われを待っていてくださる山下家へと車は走る。
 迎えてくださったのは御年89歳の十一代目当主とその奥さま。座敷に上がらせてもらい、さて隠し部屋は……どこだ。まったくわからない。当たり前だがどこにあるのか見当もつかない。
「ヒントはこの納戸です」と教えてもらい、4枚繋がった扉を順に開けていくと――あった、ありました! 左から2番めの戸の後ろに狭い空間があり、そこに梯子(はしご)が立てかけてある。隠し部屋はその梯子を上った先、天井裏に設けられていた。

 大人がようやく立てるくらいの高さで、広さは3畳ほど。禁教時代この部屋の柱に十字架を刻み、密かに祈りを捧げていたという。洗礼や経消し、さらには信者を匿うためにも使われた。もちろん当時は梯子などなく、必要に応じてよじ登っていたそうだ。
「水方のしきたりなどはすべて口伝で跡取りに継がせていました。書きものとして残すと証拠になってしまうからです。妖蛇畑もそのひとつ。聖水を汲む役目の水方しか場所を知らなかった。しかも汲んだ聖水を使って洗礼を授ける水方は別の家でした」当主が淡々と話してくださる。ちなみに山下家は洗礼を授ける水方。このように秘密を一ヵ所に集中させないことで、信仰の生き残りを図ったのかもしれない。



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〈プロフィール〉
中澤 日菜子(なかざわ ひなこ)
1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学 文学部卒業。日本劇作家協会会員。
2013年に『柿の木、枇杷も木』で第八回小説現代長編新人賞を受賞。翌年タイトルを『お父さんと伊藤さん』に改め同作で小説家デビュー。16年映画化された。最新刊は「ニュータウンクロニクル」(光文社刊)。2017年11月号より小説すばるで長編小説「石灯る夜」を連載中。
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