連載
アイランド・ホッパー
7 天草 中澤 日菜子 Hinako Nakazawa

 礼を述べて山下家を出、ついに妖蛇畑へ。谷を隔ててちょうど山下家の反対側、山の中腹に泉はあるらしい。もちろん地図などない。青木さん松浦さんの記憶を頼りに山道を上る。
 車一台がようよう通れるほどの細い道が、山中にくねくねとつづいている。鬱蒼と茂る雑木林に遮られ、見通しが悪い。しかも本格的に降り出した雨で、あたりはかなり薄暗い。
「たぶんこの下だと思います」山道からつづく急な斜面を青木さんが指さす。斜面には夏草がわたしの胸のあたりまで生い茂っている。道はない。草を掻き分けながら下るしかなさそうだ。
 だが、ただでさえ急な斜面、しかも雨で、滑りやすいことこの上ない。蛇やイノシシも出ると聞いて「今回は諦めましょう」ということに。どうやら夏場に行くのは難しい場所のようだ。泣く泣く車に戻り、妖蛇畑の現在のようすを青木さんに説明してもらう。
「藪を進んだ先にぽっかりと開いた空間があります。その一角に岩場があって、水はそこから滲(にじ)み出しているんです。岩はくり抜かれ、ちいさな泉をかたち作っています」
 あとから送ってもらった写真がこれ。確かにひとの手が入り、水を汲みだしやすいようになっている。代々妖蛇畑の水方を担ってきた家の息子さん(60〜70代)によると「そういえば赤ん坊が生まれると祖母ちゃんがここに水を汲みに来ていた」そうだから、昭和の初めころまでこの風習は残っていたことになる。
 文献も地図もない、ひとびとの記憶にだけ残る遺構。青木さんのように受け継ぐひとがいなければ、近いうちにきっと忘れ去られてしまうだろう。いや、すでに時の闇に消えた遺構や風習もあるに相違ない。
 語ること、知ること、そして残そうとする努力。地味ではあるが、とても大切な行為なのだとしみじみ感じる。

 3日目、最終日。昨日とは打って変わって晴れ上がった空にうろこ雲がたなびく、まさに秋晴れの一日だ。
 今日は「隠れ」以外の天草の顔に迫ろうと決めていた。M嬢や青木さんとも相談のうえ、目をつけたのが「天草陶磁器」である。
 あまり知られていないが天草は窯業が盛んだ。17世紀中頃に天草の西海岸で陶石が発見されたのがそもそもの始まりで、かの平賀源内に「右之土天下無双の上品に御座候(ござそうろう)」と言わしめたほどの高品質を誇る。島内にはおよそ30数軒もの窯元があり、それぞれ個性豊かな作品を生み出している。



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〈プロフィール〉
中澤 日菜子(なかざわ ひなこ)
1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学 文学部卒業。日本劇作家協会会員。
2013年に『柿の木、枇杷も木』で第八回小説現代長編新人賞を受賞。翌年タイトルを『お父さんと伊藤さん』に改め同作で小説家デビュー。16年映画化された。最新刊は「ニュータウンクロニクル」(光文社刊)。2017年11月号より小説すばるで長編小説「石灯る夜」を連載中。
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