連載
明治維新直前に死んだ男たち
第一章 中井庄五郎を知っていますか 西村京太郎 Kyotaro Nishimura



 今年は明治維新一五〇年といわれる。
 それがめでたいことなのか、それとも反対なのかは、明治維新をどうとらえるかによって、違ってくるだろう。
 明治維新を、静かな革命だという人もいれば、あれは単なるテロだという人もいる。そして、明治維新によって、得した人もいれば、明治維新直前に、無念の死を遂げた人もいる。
 私は、明治維新の直前に亡くなってしまった人たち、もっと正直にいえば、殺されてしまった人たちのことを考えてみたいと思っていた。その中で、もっとも有名な人間は、坂本龍馬だろう。
 坂本龍馬は、慶応三年の一一月一五日に死んでいる。翌年の慶応四年が明治元年だから、彼が待っていた新しい日本ができ上がる一年前に死んだことになる。
 それも、生まれ故郷の高知ではなく、京都で死んでいる。考えてみれば、多くの若者たちが、故郷ではなくてほかのところ、特に京都で死んでいた。
 当時、日本に集まっていた外国の公使たちは、日本には、二人の王がいると考えていたという。
 一人は天皇であり、もう一人は将軍である。その一人は、孝明天皇で、京都御所に住み、もう一人の徳川幕府の徳川慶喜は、大坂にいた。
 その徳川慶喜は、突然、大政奉還を叫んで辞職してしまったので、残るのは孝明天皇ひとりになった。こうなれば、孝明天皇を担ぐことに成功したほうが明日の日本の勝者になる筈だが、そう簡単ではなかった。
 御所の守りは、会津、長州、薩摩の三藩が当たっていた。常識的には、会津は佐幕、長州、薩摩が勤皇と考えてしまうが、実情は、もっと複雑だった。現実に、薩摩は会津と組んで、長州を、追放してしまうのである。このことがあったため、長州は、薩摩を信用しなくなり、薩・長連合が難しくなっていたのである。
 京都の覇権を争って、会津は、新撰組を傭い、それに対抗する形で、各藩の脱藩者が、京都に集まってきた。土佐の坂本龍馬や、中岡慎太郎たちである。
 孝明天皇の傍にいる公卿たちも、一筋ではなく、勤皇、佐幕に分かれ、特に、岩倉具視は陰謀家だった。
 第一、孝明天皇自身、どちらかといえば、薩・長より会津を信用していて、幕府と天皇が仲良く日本の政治を行う、いわば、公武合体論者だった。
「御所の内部は、魑魅魍魎の巣だ」と、いわれていた。見方によっては、革命の巣だったといわれる。
 最後には、勤皇派が、自分たちに邪魔な孝明天皇の死を願うようになり、その願いどおり、孝明天皇は、慶応二年に、突然死亡するのだが、殺された、毒殺されたという噂が流れ、この噂は、なかなか消えなかった。



 
〈プロフィール〉
西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
1930年東京生まれ。63年にオール讀物推理小説新人賞、65年に『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞、81年『終着駅殺人事件』で日本推理作家協会賞、2004年には日本ミステリー文学大賞を受賞。鉄道ミステリーの第一人者。
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