連載
明治維新直前に死んだ男たち
第二章 十津川村と明治維新 西村京太郎 Kyotaro Nishimura

「しかし、戦闘力としても、十津川の郷士たちは、重要視されていたんじゃありませんか?勤皇の勢力が、何かというと十津川の郷士を集合して戦ったというのを読んだことがあります」
 と、十津川が、いった。
「それはその通りです。幕末から明治維新にかけてだけではなくて、南北朝の時代からです。十津川の郷士が日本の歴史に登場してくるのは、南北朝の時代からです。天皇家が南朝と北朝に分かれて戦った時代、その時代に、十津川の郷士たちは南朝方の後醍醐天皇やその皇子の護良親王側について、北朝の大将である足利氏と戦いました」
「楠木正成や新田義貞の側というわけですね?」
「そうです。ですから、十津川村ではその間、北朝側の年号は使わずに南朝方の年号を使っていたといわれています。とにかく、生まじめなんです」
「なぜ、南北朝の頃、南朝方に与して戦おうとしていたのでしょうか?」
「今、十津川村に行くのは時間がかかりますが、それは交通手段が悪いからですよ。しかし、南北朝の頃は、交通手段は馬か徒歩ですからね。その頃を考えれば、十津川村の位置というのは江戸とか薩摩に比べれば、はるかに京都に近いことが分かります。ですから、京都で騒乱に敗れた天皇や親王は、京都に近い十津川村に逃げて来られた。それが、たまたま、南朝の後醍醐天皇であり護良親王だった。十津川の人たちは、それをお守りし、御所を護った。それがたまたま南朝方だったということだと思います。もう一つ、十津川村の住民たちは、今もいったように農民ではありませんからね。槍とか刀、あるいは弓などの使える郷士たちです。それに、動員できる数が多かった。例えば、京都の御所に藩士を集めていた会津とか長州とか薩摩の大藩だって、その数はせいぜい千人ぐらいです。それでも大兵力です。その点、十津川村では千人、あるいはそれ以上の郷士を集めて京都に送ることができたのです。農民だったら、田植えとか、稲刈りとか、動けない時がありますからね。ですから、多くの勤皇の志士たちが十津川村に逃げてきたり、また、十津川村の郷士たちを集めて、王政復古をやろうとしたりしたのです」
「それに、十津川村の郷士たちが応じたわけですか?」
「とにかく、十津川の郷士たちは純粋でしたからね。天皇様のために戦いたい。その一念がありますから、時には騙されて、千人を集めて京都に進軍したりしているんです」
「南北朝の時代というと、かなり昔ですね」
「何しろ、楠木正成や足利尊氏の時代ですからね。結果的には、一時は足利尊氏に勝って建武の中興を成し遂げるのですが、その後、足利氏に敗れて南朝は滅びます。しかし、それでも十津川村の人々は、南朝方の味方で、幕末になって京都の御所が危ないと聞くと、今もいったように、御所を守りたいといって嘆願するのですが、それを許されて三〇〇人が交代で、御所を守るようになります」
「幕末から明治維新にかけての十津川郷士の動きを知りたいですね」
 と、十津川が、いうと、菅原は、
「それは、十津川村に着いてから、向こうの人に聞いたほうがいいですよ。生々しい話が聞けると思いますからね」
 と、いった。



 
〈プロフィール〉
西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
1930年東京生まれ。63年にオール讀物推理小説新人賞、65年に『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞、81年『終着駅殺人事件』で日本推理作家協会賞、2004年には日本ミステリー文学大賞を受賞。鉄道ミステリーの第一人者。
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