連載
明治維新直前に死んだ男たち
第二章 十津川村と明治維新 西村京太郎 Kyotaro Nishimura

「応仁の乱のずっと前でしょう? その頃から延々とここで亡くなった南朝方の天皇のために、お祀りを続けてきたというわけですか?」
「そうですよ。それに、南朝の年号を使って、北朝の年号は一切使いませんでした」
「どうしてですか?」
「どうしてですかね。自分のことをいうのはおかしいですが、十津川村の人たちは、たぶん律儀なんですよ。南朝方の後醍醐天皇や、その親王のために尽くすとなると、延々と尽くすんです」
 たしかに南北朝は、その後、北朝方の勢いが強くなった。というのは、足利尊氏が作った足利幕府が強かったということになる。そして、南朝方が折れて、分かれていた南北朝がなくなったのである。それは、十津川が高校時代に習った日本の歴史だった。
 しかし、ここでは、延々と、南朝方に尽くし続けていた人たちが、生きていたことになる。
 その後、市橋は村の中にある、南朝方と十津川郷士たちがいかに親しく、そして、十津川郷士たちが、いかに一生懸命に南朝方に尽くしていたのかが分かる遺跡を順番に案内していった。
 さまざまな南朝時代の遺跡があったが、市橋が最も力を込めて十津川たちを案内したのは、護良親王の石碑だった。川の上流に建っているので途中で車を降り、そこまで歩いていった。
 市橋は、はっきりした声で、護良親王の石碑が建った理由を説明する。
「南北朝時代ですが、大塔宮護良親王は、北朝の圧力に押されて、この近くの峠を越えて、この十津川村に逃げてこられたのです。この先の峠です。そして、疲れてウトウトされた。そして目を覚まされてから、自分の境遇を嘆かれて詩を詠まれた。それが、この歌碑にある詩です」
 そういって、市橋は、その詩をいい声で聞かせてくれた。

「琵琶の音も昔にかえてものすごし葦の瀬川の瀬々の水音」

「十津川の郷士たちは、勤皇の志も強かったので、護良親王の歌を石に刻んで、ここに石碑を建てたのです。安政四年です」
 その石碑を作った年代も、市橋は、きちんと覚えていた。
 楠木正勝の墓もあった。十津川は、楠木正成の名前は知っていたが、楠木正勝という名前は聞いたことがなかった。
 しかし、十津川村の郷士たちは、南朝に味方し、楠木正成や新田義貞らとともに戦ったのだから、楠木正成の子孫の墓があってもおかしくはないのだ。これも市橋が説明してくれた。
 十津川も亀井も、楠木正勝の名前は知らないというと、市橋は、微笑して、
「そうですね。楠木正勝公は、虚無僧の元祖といわれているのです。ですから、毎年の記念日になると、全国から虚無僧たちが集まってきますよ」
 と、教えてくれた。
 護良親王が、京都からこの十津川村に逃げてこられた時、村人たちは、護良親王のための御所を作り、護良親王を守ったのだ。
 結局、護良親王は、戦に敗れ鎌倉に幽閉され、そこで亡くなるのだが、十津川村の人たちは、親王のために御所を作った。
 その後に「黒木御所跡」という石碑を建てて、今も、その石碑を守っている。
 今から六〇〇年以上も前の話である。気の遠くなる昔である。
 一つの村が延々とその歴史というか、自分たちの守った後醍醐天皇や、その第三皇子のために石碑を作り、毎年それを祀り、今日まで続けてきた。
 十津川は、その息の長さに感嘆した。



〈プロフィール〉
西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
1930年東京生まれ。63年にオール讀物推理小説新人賞、65年に『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞、81年『終着駅殺人事件』で日本推理作家協会賞、2004年には日本ミステリー文学大賞を受賞。鉄道ミステリーの第一人者。
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