連載
明治維新直前に死んだ男たち
第二章 十津川村と明治維新 西村京太郎 Kyotaro Nishimura

「つまり、その頃は、安政の大獄で息を潜めていた勤皇の志士たちが、天誅騒ぎで一斉に動き出したということですか?」
「そうもいえますね。勤皇の志士たち、そのほとんどが脱藩者ですが、文久三年(一八六三年)に天誅組の乱を起こすのですが、この一八六三年という年は、十津川村にとっても、いろいろなことが起きているのです。その頃、十津川郷士たちは京都の御所の警備を任されて、三〇〇人くらいが、上洛していますが、もう一人、忘れてはいけない十津川村出身の人がいるのです。上平主税という人で、勤皇の志士として十津川村では、有名ですが、全国的になると、さほど有名というわけではありません。上平主税は、いわば十津川村の代表としてほかの藩との連絡を取ったりしていたわけですが、この人が、中井庄五郎を連れて、京都御所の守護のために京都に出向いています。それが一八六三年で、中井庄五郎は、初めての京都でこの時十七歳でした」
「十七歳ですか」
 亀井刑事が、小さくつぶやいた。
 市橋は構わずに、話を続けた。
「何しろ十七歳ですからね。日本で今、何が起きているのかとか、十津川郷士は何をしたらいいのかとか、そういうことは何も分かっていなかったと思うのです。とにかく初めて都に上がってきたわけです。そして、この年、勤皇の志士が、天誅組を作って旗揚げします。その背後には、京都の守護に当たっていた長州藩がついていた、というより長州藩が先導したといったほうが、いいかもしれません。首謀者は脱藩の勤皇の志士で、今もいったように、背後には、長州藩がついていました。彼らは、十津川郷士にも、呼びかけました。そこで、十津川の郷士一五〇〇人が一斉に立ち上がって、天誅組に加担するのです。それが文久三年の八月一六日です。意気揚々として、十津川藩の一五〇〇人は、京都に向かって行進し、京都と十津川村の間にある徳川幕府の五条奉行所を攻撃するのです。それが一七日です。ところが、翌八月一八日、突然、京都で薩摩藩と会津藩が手を組んで、長州藩を追放してしまうのです。長州藩は抵抗して戦いましたが、会津藩と薩摩藩の連合軍にはかないません。長州藩は、京都から撤退していきます。これが八・一八の乱とか呼ばれるわけです。長州藩に加担して、天誅組の蜂起に力を貸した京都御所の公家たちも、追放されて、長州に落ち延びていきます。一番バカを見たのは、勤皇の志士たちの呼びかけに応じて天誅組に加担して、五条の奉行所を攻撃した十津川郷士一五〇〇人です。自分たちは、勤皇方と思っていたのに、突然、その後援者の長州藩が京都を追われて、長州に落ちていってしまったんですから。今度は、天誅組が賊軍になってしまいました。当然、天誅組は、京都周辺の各藩の軍勢に攻撃されて蜂起は失敗。首謀者は、次々に逮捕されて処刑されていきました。当然、十津川村でも何人もの郷士が逮捕されるか、自分で腹を切って死にました。幸いなことに、京都御所の守りに当たっていた三〇〇人は、この難を逃れました。天誅組に加担していなかったからです。十津川郷士の代表である上平主税も、彼につられて京都に来ていた十七歳の中井庄五郎も、この難を逃れましたが、しかし、しばらくは十津川郷士たちが評判を落とし、元気がなかったといわれています。



〈プロフィール〉
西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
1930年東京生まれ。63年にオール讀物推理小説新人賞、65年に『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞、81年『終着駅殺人事件』で日本推理作家協会賞、2004年には日本ミステリー文学大賞を受賞。鉄道ミステリーの第一人者。
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第七章 若き志士と現代の若者たち(最終回)
第六章 『奇は貴なり』の終章2
第六章 『奇は貴なり』の終章
第五章 『奇は貴なり』の続きと事件2
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第四章 小説『奇は貴なり』のつづき2
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第三章 奇は貴なり2
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第二章 十津川村と明治維新2
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