連載
明治維新直前に死んだ男たち
第三章 奇は貴なり 西村京太郎 Kyotaro Nishimura

 それから二日間、十津川は亀井と、中井庄五郎について調べて回った。主として話を聞いたのは、歴史資料館の館長や村役場の人たちであり、彼らから、見せてもらった資料だった。
 中井庄五郎が、一八四七年四月二三日、十津川村の野尻という村に生まれたことはハッキリしていた。ただ、中井庄五郎を偉大な人間とするためか、さまざまな伝説が作られてもいる。
 例えば、生まれた時、庄五郎は全身が黒い毛で覆われていて、極めて異相な子だった。長身で毛深く、ひげ男と呼ばれていたというのも、人間、有名になるとやたらにエピソードが生まれてくるのと同じで、どこまでが真実なのか分からなかった。
 また、中井庄五郎は剣に優れ、特に居合の達人で、彼の戦いぶりを当時の人たちは、
「彼の戦うや猛虎のごとく、また、隼のごとく俊敏。機先を制して乾坤一擲。たちまち敵を倒す」
 と、語っていたというが、彼が、いったい誰に剣を学んだのか、それも分からないのである。
 しかし、居合の達人だったというのは、生誕碑にも書かれているし、若い時に京都に出て、そこで新撰組とケンカになって戦ったということも書かれているから、彼が剣の達人だったということは本当らしい。
 したがって、強かったとは書かれているが、若い時のことはあまり知られていない。剣を誰に習ったのかも分からないし、学問をどこで頭に入れたのかも分からなかった。
 はっきりしているのは、一八六三年、同郷の先輩、上平主税に、連れられて、京都御所の警護のために、上京していることだった。
 一八六三年の一月と四月の二回に分かれて約二〇〇人が上京し、御所の警護に当たることになっていたというから、中井庄五郎が一月の組に入っていたのか、それとも四月の組に入っていたのかは分からないが、四月には、京都に出ていたことは間違いない。この時、中井庄五郎は十七歳である。
 京都御所の警護を任されたというと、いかにも重要な仕事を頼まれたように聞こえるが、全員が京都御所の警護に、当たっていたというわけではない。
 例えば、この時、中井庄五郎は鎌塚民男という郷士と二人で、柳原中納言の屋敷の警護に当たっている。この頃、実際に京都御所の護衛に当たっていたのは、会津藩、長州藩、薩摩藩、土佐藩、あるいは紀州藩、また小藩では、二本松藩などの侍たちが、京都御所の護衛に当たっていて、侍でも農民でもなく、郷士と呼ばれていた十津川の人たちが、簡単に京都御所の護衛を任されるはずはなかったのである。
 つまり、十津川郷士たちは、大藩にいいように、使われていたということもあったらしい。
 しかし、とにかく、中井庄五郎は十七歳の時、京都にいたことだけは間違いない。
 この頃の京都、特に京都御所の中は、魑魅魍魎の巣といわれていた。会津、長州、薩摩、土佐など大藩が、京都で実権を握ろうとして、京都御所の公家たちと手を結んで暗躍していたからである。
 そのために、当時の天皇、孝明天皇が、十津川郷士しか信用できないといったのは、何も十津川郷士が強かったというわけではなくて、大藩の人間たちがヘゲモニーを手にしようとして、公家たちと繋がって、陰謀を企んでいたからである。



 
〈プロフィール〉
西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
1930年東京生まれ。63年にオール讀物推理小説新人賞、65年に『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞、81年『終着駅殺人事件』で日本推理作家協会賞、2004年には日本ミステリー文学大賞を受賞。鉄道ミステリーの第一人者。
Back number
第七章 若き志士と現代の若者たち(最終回)
第六章 『奇は貴なり』の終章2
第六章 『奇は貴なり』の終章
第五章 『奇は貴なり』の続きと事件2
第五章 『奇は貴なり』の続きと事件
第四章 小説『奇は貴なり』のつづき2
第四章 小説『奇は貴なり』のつづき
第三章 奇は貴なり2
第三章 奇は貴なり
第二章 十津川村と明治維新2
第二章 十津川村と明治維新
第一章 中井庄五郎を知っていますか2
第一章 中井庄五郎を知っていますか