連載
明治維新直前に死んだ男たち
第三章 奇は貴なり 西村京太郎 Kyotaro Nishimura

 この頃より少し前、安政の大獄で有名な井伊直弼が、桜田門外で水戸藩士に暗殺された。この頃から京都では、勤皇の志士たちが、安政の大獄の復讐を狙って、井伊大老に賛成した幕府の有力者たちを、次々に襲っていた。これが天誅である。
 この復讐劇は、凄まじかったらしい。京都に集まった勤皇の志士たち(主として長州・薩摩・土佐の脱藩者)は、安政の大獄の時、勤皇の志士たちを捕えて投獄した幕府の要人だけでなく、その捕縛に与した与力や目あかしまで、探し出して斬殺した。時には、京都の寺に安置されている足利尊氏の木像まで盗み出し、首を引き抜いて、三条河原にさらしたといわれている。
 驚いた江戸幕府は、京都の治安を維持するため、会津藩主、松平容保を京都守護職に任じると同時に、江戸で募集した浪士たちを、京都に送り込んだ。これが、後の新撰組である。
 そして、一八六三年八月一七日、京都で勤皇の志士たちが、ついに天誅組の乱を起こした。彼らの主張は、勤皇倒幕、尊皇攘夷である。
 そして、指導者たちは、十津川郷士に対して、天誅組に加わるように、要請した。
 十津川では一五〇〇人の郷士たちが、その檄に応えて立ち上がり、京都との境にあった五条の幕府の奉行所を襲撃した。この時、微妙な立場に置かれてしまったのが、京都御所の護衛に当たっていた二〇〇人の十津川郷士たちである。指導者の上平主税は、果たして天誅組に与していいものかどうか分からずに迷っていた。
 そして、翌八月一八日、有名な八・一八の乱が起きるのである。
 天誅組に与していたのは、京都の勤皇の志士たちと長州藩だった。長州藩は、この時、八人の公家と組み、孝明天皇を擁して一挙に勤皇倒幕に走ろうとしたのである。
 それに対して、薩摩と会津は、密かに過激派の長州を京都から追い払おうとして策謀していた。そして、八月一八日、突然、長州追い落としの行動に移った。
 薩摩と会津が勅命として出した命令は、
 一 天皇の大和行幸を取りやめる(孝明天皇が大和に行幸するのをチャンスに、長州藩と天誅組が勤皇倒幕ののろしを上げることになっていた)。
 二 三条実美以下の公家たち一九名に、禁足の申し渡し。
 三 長州藩の御所警護の任を解き、薩摩藩、会津藩の両藩に変える。
 この三か条だった。明らかに、薩摩、会津による、長州藩の追放である。
 そして、この瞬間、長州藩も天誅組も、官軍から、賊軍になってしまったのである。
 長州藩と組んでいた公家たちは、長州に追放され、長州藩とともに、都落ちしていった。
 このため、一変したのは、天誅組に呼応して決起し、五条の奉行所を襲撃した、十津川郷士一五〇〇人の運命である。天誅組の叫ぶ勤皇倒幕を信じて立ち上がったのに、一夜にして賊軍にされてしまったのである。このため、十津川郷士のリーダーたちの何人かが亡くなっていた。この人たちは、吉田松陰、坂本龍馬、あるいは中岡慎太郎たちに比べて無名だが、十津川郷ではそれぞれ郷士たちのリーダーであり、一途に王政復古を夢見ていた郷士たちだった。彼らは、十津川村の中に、今でも、墓碑や記念碑が建っていた。
 その何人かの名前を、十津川は手帳に書き留めていった。



〈プロフィール〉
西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
1930年東京生まれ。63年にオール讀物推理小説新人賞、65年に『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞、81年『終着駅殺人事件』で日本推理作家協会賞、2004年には日本ミステリー文学大賞を受賞。鉄道ミステリーの第一人者。
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第七章 若き志士と現代の若者たち(最終回)
第六章 『奇は貴なり』の終章2
第六章 『奇は貴なり』の終章
第五章 『奇は貴なり』の続きと事件2
第五章 『奇は貴なり』の続きと事件
第四章 小説『奇は貴なり』のつづき2
第四章 小説『奇は貴なり』のつづき
第三章 奇は貴なり2
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第二章 十津川村と明治維新2
第二章 十津川村と明治維新
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