連載
明治維新直前に死んだ男たち
第三章 奇は貴なり 西村京太郎 Kyotaro Nishimura

 当時、十津川郷士たちも穏健派と過激派に分かれていた。主として京都御所の護衛に当たっていた上平主税は穏健派のリーダーで、過激派のほうには田中主馬蔵、深瀬仲磨、吉田源五郎の三人がいた。
 田中主馬蔵は、田中顕助と片岡源馬の二人を匿った十津川郷士である。この三人は、倒幕以外に日本を救う道はないと考え、田中主馬蔵は、田中顕助、片岡源馬の二人とともに薩長連合のために働いていた。
 この田中主馬蔵は、一時、京都東町奉行所に逮捕されている。逮捕の理由ははっきりしなかったが、どうやら田中主馬蔵が、他の二人の十津川郷士とともに薩長連合を画策していると疑われたからだろう。
 その頃になると、薩長連合もだんだんと形になってきて、慶応三年一〇月頃になると、あと三カ月もすれば倒幕の戦が始まる。それに備えて、洋式の軍隊を作っておこうという声が起こってきて、土佐の浪士、中岡慎太郎は、京都の白川にあった土佐藩の別邸を十津川郷の名義に変えて、そこで洋式の軍隊の訓練を始めた。これに参加したのは、田中主馬蔵たち五〇人の十津川郷士と、中岡慎太郎が集めた勤皇の浪士たち三〇人である。この費用は全て薩摩藩、というよりも西郷が出している。
 特に洋式の訓練に遅れていた十津川郷士たちは、それまでの槍や弓矢、そして、種子島といった武装を止めて、アメリカから輸入したゲペール銃を使うようになった。ゲペール銃は高価なものだが、幸いアメリカの南北戦争が終わって、大量のゲペール銃が余ってしまい、それを安く購入することができたのである。
 しかし、こうした京都の動き、薩長連合の動きなどの中に、どこを探しても中井庄五郎の名前は出てこない。その代わりのように、この頃、中井庄五郎の名前が別の場所で出てきていた。
 その頃、中井庄五郎は、他の十津川郷士たちと同じように、薩摩藩邸に出入りしていて、長州や土佐の勤皇の志士たちと交流を深めていたが、その中の一人、長州藩士、品川弥二郎から同じ長州藩士の村岡伊助の暗殺を、依頼されるのである。
 品川弥二郎にいわせると、同じ長州藩士の村岡伊助は、どうやら、勤皇の志士たちを裏切って、幕府と連絡を取っているらしいというのである。それをなぜ、中井庄五郎に依頼し彼が引き受けたのかは分からない。庄五郎は、他の長州藩士と二人で、村岡伊助をつけ狙って斬り殺し、村岡伊助が懐中に所持していた密書を、奪い取った。
 その密書には、村岡伊助が幕府に内通していたことが書かれており、その功によって中井庄五郎は、長州藩侯から刀二振りが贈られている。
 これは、薩長連合とか、禁門の変とかの歴史の表に、出てくる事件ではない。なぜ、表の舞台に中井庄五郎の名前が出てこなくて、裏の舞台で、中井庄五郎の名前が出てくるのだろうか?
「中井庄五郎は、ひょっとすると歴史の表舞台ではなくて、裏舞台で当時から、有名だったのではないか。だから、品川弥二郎は、暗殺を庄五郎に頼んだのではないだろうか?」
 と、十津川が、亀井に、いった。
「それは、庄五郎が若かったからですか? 薩長連合の頃、彼はまだ二十歳でしょう? それに比べて、坂本龍馬たちは三〇代でしたからね」
 と、亀井が、いう。



〈プロフィール〉
西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
1930年東京生まれ。63年にオール讀物推理小説新人賞、65年に『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞、81年『終着駅殺人事件』で日本推理作家協会賞、2004年には日本ミステリー文学大賞を受賞。鉄道ミステリーの第一人者。
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第七章 若き志士と現代の若者たち(最終回)
第六章 『奇は貴なり』の終章2
第六章 『奇は貴なり』の終章
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第三章 奇は貴なり2
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第二章 十津川村と明治維新2
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