連載
明治維新直前に死んだ男たち
第四章 小説『奇は貴なり』のつづき 西村京太郎 Kyotaro Nishimura

 梅田雲浜で有名なのは、大阪に現れたロシアの軍艦を追い払おうとして、十津川郷士を集め、打ち払いに出発しようとした、その時に詠んだ歌である。

 妻臥病牀兒叫飢
 挺身直欲拂戎夷
 今朝死別與生別
 唯有皇天后土知

(妻は病床に臥し、子は飢えに泣く
 身を挺して直ちに攘夷を拂わんと欲す
 今朝死別と生別と、皇天后土の知る有り)

 しかし、梅田雲浜が十津川郷士を率いて、ロシアの軍艦を打ち払いに行こうとした時にはすでに、ロシアの軍艦は出港していた。その後、彼は安政の大獄に連座して、一八五九年、獄中で死んでいる。
 もう一人は、土佐藩の脱藩者、田中光顕である。彼は、若い那須盛馬と共に土佐藩を脱藩して京都に来るのだが、京都で佐幕派に追われて十津川へ逃げてきた。十津川は山の中の村だから、そこまでは逃げまいとして、佐幕派も追って来ないのである。
 しばらくの間、十津川郷で心身を休めているのだが、この時に田中光顕は、十津川郷士たちに勉強を教えている。京都の情勢や、社会の動きなど、そんなことを教えている。つまり、十津川郷士たちは正規の学問を習うよりも、勤皇の志について学んでいたのである。それが後になって、プラスにもなったし、マイナスにもなっている。
 ここに、中井庄五郎の二十一年の短い歴史がある。

 一八四七年 十津川村に生まれる
 一八五八年 安政の大獄 十一歳
 一八六〇年 桜田門外の変 十三歳
 一八六二年 寺田屋事件 十五歳
 一八六三年 天誅組挙兵 十六歳
       初めて京に上る 十七歳
       正しくは十六歳と何カ月か
 一八六四年 文武館開校
       池田屋事件
       蛤御門の変 十七歳
 一八六五年 那須盛馬と二人で上京
       三月中旬夜、京都で酔って新撰組の三人と喧嘩。那須盛馬重傷 十八歳
 一八六六年 薩長同盟 十九歳
 一八六七年 大政奉還
       龍馬暗殺
 龍馬の仇を討つため、天満屋へ斬り込み、死亡。二十一歳 正しくは二十歳と八カ月

 この年表を見ると、中井庄五郎の短い人生の間に、様々な事件が起きているのだが、ほとんどの事件に、なぜか庄五郎は関係していないのである。関係しているのは、龍馬の仇を討つために天満屋へ斬り込んで、亡くなっているのだが、それで庄五郎の歴史は終わっていても、二十一年の間に起きた天誅組の挙兵とか池田屋事件とか、蛤御門の変とか薩長同盟、あるいは大政奉還といったものに、庄五郎の名前は出てこないのだ。
 例えば、一八六三年に起きた天誅組の挙兵がある。首謀者は土佐藩の脱藩者、吉村虎太郎である。吉村虎太郎は、土佐藩を脱藩した第一号と言われ(二号が坂本龍馬)、京都で勤皇攘夷の旗印をかかげて決起した。
 この時、勤皇の志の高い十津川郷士たちにも檄を飛ばして、参加するように要請した。そこで、十津川郷士たち二〇〇人がその檄に応じて、近くの幕府の奉行所を攻撃したのである。



 
〈プロフィール〉
西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
1930年東京生まれ。63年にオール讀物推理小説新人賞、65年に『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞、81年『終着駅殺人事件』で日本推理作家協会賞、2004年には日本ミステリー文学大賞を受賞。鉄道ミステリーの第一人者。
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第七章 若き志士と現代の若者たち(最終回)
第六章 『奇は貴なり』の終章2
第六章 『奇は貴なり』の終章
第五章 『奇は貴なり』の続きと事件2
第五章 『奇は貴なり』の続きと事件
第四章 小説『奇は貴なり』のつづき2
第四章 小説『奇は貴なり』のつづき
第三章 奇は貴なり2
第三章 奇は貴なり
第二章 十津川村と明治維新2
第二章 十津川村と明治維新
第一章 中井庄五郎を知っていますか2
第一章 中井庄五郎を知っていますか