連載
明治維新直前に死んだ男たち
第五章「『奇は貴なり』の続きと事件」 西村京太郎 Kyotaro Nishimura



 中井庄五郎は、つくづく不思議な人物だと思う。
 まず、その死に方である。
 慶応三年(一八六七年)一二月七日夜、同じ年の一一月一五日に暗殺された坂本龍馬の仇を討とうと、この日、海援隊の陸奥宗光ら二〇人余りで、新撰組が集まっていた京都の天満屋に斬り込むのである。新撰組が龍馬を暗殺したと決めつけてである。
 この時、応戦した新撰組も、二〇人余り、敵味方で合計数十人の乱闘である。
 五、六人の死者が出たとしても不思議はないのに、何故か死者は一人だけ。それが剣の達人、居合の名手といわれていた中井庄五郎なのである。
 不思議である。
 また、この時が、慶応三年一二月七日だった。
 同年一一月一五日に死んだ坂本龍馬について語る時、翌慶応四年に明治維新が成ることから、
「龍馬があと少し生きていたら、明治維新を眼にすることが出来たのに」
 と、惜しむことが多い。
 その伝でいけば、同年一二月七日夜に死んだ中井庄五郎は、もっと惜しまれるべきなのに、その声は全くといっていいほどない。これも不思議である。
 更に調べてみると、庄五郎の二十一年の人生そのものが不思議に思えてくる。
 彼が生きた時代は、幕末から明治にかけての、いわゆる疾風怒涛の時代である。クロフネの襲来があり、勤皇佐幕が相争っている。京都では、毎日のように人が斬られていた。
 理想を抱き、腕に自信のある若者なら、この時代こそ、わが夢を生かす時と、進んで時代に身を投ずる筈である。
 ところが、中井庄五郎には、それが全くない。
 庄五郎は、十津川郷士の生まれで、一般の武士ではないからと考える人もいるが、全く違う。
 文久三年(一八六三年)、土佐浪士の吉村寅太郎らが、尊皇攘夷の旗印をかかげて、京都で挙兵した。天誅組である。これに応じた、十津川郷士二千人が一斉に立ち上がって、幕府の大和五条代官所を襲撃している。十津川郷士は、時代に敏感なのだ。
 戊辰戦争の時でも、多くの十津川郷士が新政府軍兵士の一人として、北越戦争で戦っていて、中には、その戦功によって陸軍少将になった人もいる。
 横井小楠という学者を、不敬の言動ありと誤解して暗殺したのも、十津川郷士である。
 ある意味、時代を生き、時代に翻弄されたのが十津川郷士といえないこともない。
 中井庄五郎は、その時代を、しかも十代の後半から二十一歳まで生きたのである。若者なら、この疾風怒涛の時代に身を投じた筈なのだが、庄五郎には、それが全くない。時代と無関係に生きたとしか思えない。
 なぜ、そんな生き方をしたのか、大変興味があるので、その謎を調べたくて、筆を続けることにした。



 
〈プロフィール〉
西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
1930年東京生まれ。63年にオール讀物推理小説新人賞、65年に『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞、81年『終着駅殺人事件』で日本推理作家協会賞、2004年には日本ミステリー文学大賞を受賞。鉄道ミステリーの第一人者。
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