連載
明治維新直前に死んだ男たち
第五章「『奇は貴なり』の続きと事件」 西村京太郎 Kyotaro Nishimura

 ここに、庄五郎の小さなエピソードがある。
 ここまでにも書いたことだが、庄五郎が十九歳から二十歳にかけてのころ、同じく、若い土佐浪士の那須盛馬と親しくなり、二人で京都に上った。
 当時の京都は、勤皇、佐幕に分かれて戦っていた危険地帯だった。
 勤皇派には、各藩の脱藩浪士が多く、佐幕派としては、見廻組や新撰組が代表だった。
 庄五郎と那須盛馬の二人は、若くて腕に自信があるので、面白がって上京したのだろう。
 京都に入ると、毎夜酔っぱらって、京都の祇園界わいや河原町を闊歩したという。
 悪くいえば、喧嘩を売って歩いていたのだ。腕試しである。
 そして、見事に喧嘩相手にぶつかった。
 新撰組の若手三羽烏、沖田総司、斉藤一、永倉新八の三人である。どちらから手を出したのかは分からないが、斬り合いになり、庄五郎は平気だったが、那須盛馬は手傷を負い、一時、十津川温泉で治療したといわれる。
 いかにも若者らしい行動である。
 ただ、この後が全く違う。
 那須盛馬は、先輩で同じ土佐浪士の田中光顕に協力して、薩長同盟のために走り廻るのである。
 薩長同盟に賛成の西郷吉之助や、大久保一蔵といった薩摩藩士に比べて、一度、薩摩に裏切られている長州藩士は、いっこうに同意しない。
 特に奇兵隊の高杉晋作や桂小五郎(木戸孝允)が、強硬に反対するので、その説得のために、わざわざ長州まで行き、二人に会って説得しているのだ。
 薩長同盟は、その五カ月後、同じ土佐浪士の坂本龍馬や中岡慎太郎によって成立するのだが、その先駆となった田中光顕と那須盛馬の働きは、立派である。
 特に、若い那須盛馬は、若さに任せて酔っぱらって、新撰組と無茶な喧嘩をした後、目覚めて薩長同盟のために走り廻っているのは、見事という他はない。
 ところが、一緒に京都で喧嘩を売っていた中井庄五郎のほうは、その後、何をしていたか分からないのだ。薩長同盟で働いたという記録もないし、他の勤皇運動に加わってもいない。
 では、何をしていたのか? 何処にいたのか?
 庄五郎は、京都にいた。
 那須盛馬のほうは、手傷を負って京都を脱出して、十津川の温泉で傷の治療に当たっていたことは記録にも残っている。
 多分、その間に、庄五郎は一人、京都に残っていた筈である。
 そして、一人、何をしていたのか?
 ここからは、想像の領域、小説の世界である。



 
〈プロフィール〉
西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
1930年東京生まれ。63年にオール讀物推理小説新人賞、65年に『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞、81年『終着駅殺人事件』で日本推理作家協会賞、2004年には日本ミステリー文学大賞を受賞。鉄道ミステリーの第一人者。
Back number
第七章 若き志士と現代の若者たち(最終回)
第六章 『奇は貴なり』の終章2
第六章 『奇は貴なり』の終章
第五章 『奇は貴なり』の続きと事件2
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第四章 小説『奇は貴なり』のつづき2
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第三章 奇は貴なり2
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第二章 十津川村と明治維新2
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第一章 中井庄五郎を知っていますか2
第一章 中井庄五郎を知っていますか