連載
明治維新直前に死んだ男たち
第五章「『奇は貴なり』の続きと事件」 西村京太郎 Kyotaro Nishimura

「吉野卓之助 三十二歳 五尺三寸

 この者、薩摩藩士にして示現流の名手。薩摩藩と御所との連絡係を勤めるも、裏切りの兆あり。斬首を至当と決定。中井殿に依頼す。明日夕刻、御所を辞す予定。
 報償百両。他言無用」

 吉野卓之助の似顔絵も描かれていた。
(これが龍馬の約束した仕事か)
 と、思ったが、不快感はなかった。
(示現流か)
 そのほうに、関心があった。
 示現流は、薩摩藩に伝わる流派である。
 皮を切らせて骨を断つという合言葉が示すように、ひたすら重い木刀を振り下ろすのが稽古と、庄五郎は、聞いていた。
(その名手か)
 ふと、庄五郎は、身ぶるいを覚えた。
 翌夕。
 庄五郎は、京都御所の近くにいた。
 御所から薩摩藩邸に通じる道を、御所に向って、ゆっくり歩いて行く。
(来た)
 と、庄五郎が、足を止める。
 相手も足を止めた。がっしりした身体つきの男だった。
「薩摩藩士、吉野卓之助殿か」
 声をかけながら、庄五郎は、相手の反応を見たのだが、相手は、いきなり剣を抜き放って、上段に構えた。自分が狙われると予期していたのだ。
 そのまま、間合いを詰めてくる。
 次に、裂帛の気合と共に、上段から振り下ろしてくるだろう。
 それを剣で受け止めれば、そのまま上から押し潰されてしまう。相手は、ひたすら、その稽古をしているのだ。
(剣の下は地獄か)
 相手が、低く叫びながら、剣を振り下ろす。
 庄五郎は、逃げも、剣で受けもせず、その代り、相手のふところに向って、低く跳躍した。
 相手の眼がうろたえて動く。
 庄五郎は、跳びながら抜刀し、横に払った。
 怒号。
 悲鳴。
 血しぶき。
 そんなものを一緒に聞きながら、庄五郎は、そのまま倒れていく吉野卓之助の横を、すり抜けていった。
 数刻の後、近江屋に裏から帰って、血のついた着物を洗っていると、女将さんが何も聞かずに、それを奪い取り、黙って洗ってくれた。
 翌日、若い男が百両を届けてきた。



〈プロフィール〉
西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
1930年東京生まれ。63年にオール讀物推理小説新人賞、65年に『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞、81年『終着駅殺人事件』で日本推理作家協会賞、2004年には日本ミステリー文学大賞を受賞。鉄道ミステリーの第一人者。
Back number
第七章 若き志士と現代の若者たち(最終回)
第六章 『奇は貴なり』の終章2
第六章 『奇は貴なり』の終章
第五章 『奇は貴なり』の続きと事件2
第五章 『奇は貴なり』の続きと事件
第四章 小説『奇は貴なり』のつづき2
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第三章 奇は貴なり2
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第二章 十津川村と明治維新2
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第一章 中井庄五郎を知っていますか2
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