連載
明治維新直前に死んだ男たち
第六章 『奇は貴なり』の終章 西村京太郎 Kyotaro Nishimura

 しかし、冷静に見ると、当時、外国との貿易で最も利益をあげていたのは、薩摩藩だった。
 中国製品(中国唐物)の密輸入、松前のコンブなど海産物の密輸出、琉球の砂糖の独占などで、藩財政の半ば以上の利益をあげていたし、横浜が開港されたあとは、横浜で生糸を密売買し、アメリカの南北戦争で綿花が高騰すると、大阪などで綿花を買い占めて、横浜と長崎で巨利をあげている。
 長州も同じだった。倒幕の急先鋒の長州が、貿易面では幕府に接近し、鎖国の中で自藩だけの航海権を得ようとしていたのである。
 また、長州は、幕府の開国策を非難し、攘夷を迫っていて、実際に下関でイギリス艦隊と交戦するのだが、これは、真の攘夷ではなかった。
 この戦いを指導したのは、周布政之助や、高杉晋作、木戸孝允たちだが、彼らのいう攘夷は、「攘夷の後の開国」だったし、当時、藩内の統一がとれていなかった。
 長州というと、高杉晋作の奇兵隊が有名だが、藩内では少数派だったし、多くの藩士たちは、奇兵隊を烏合の衆と馬鹿にしていた。
 そこで、周布政之助や、高杉晋作、木戸孝允たちは、議論を統一するために「対外戦争」を利用したのである。強大な外国と戦うために、上、下が一心になり、武士と庶民の混合部隊の奇兵隊が、長州藩の主力になったのである。もちろん、この戦いのあと、長州は見事に開国に転回した。
 日本全体を見ても、幕府のとった修好通商条約は成功だった。
 あとになって、不平等条約だと批判されるが、経済的には成功だった。
 一八五九年(安政六年)に始まった横浜、長崎、函館の三港での自由貿易は、黒字で始まったからである。一年後も、輸出四七一万ドル、輸入一六六万ドルだった。七年後の輸出は、一千万ドルを超えた一八四九万ドル、輸入は一五一四万ドルである。
 これに応じて、国内の生産量も伸びていった。輸出の第一位は生糸だが、商人たちは、横浜に集まった。国内市場を作り、出店を申請し、商機をつかもうとした。
 ある商人は、生糸の売り込みで財閥となり、その後、横浜の政界の大物になった者もいる。
 商人だけではなかった。一時、条約拒否だった川越藩は、開港が決まると一転して地元の生糸を横浜商人を通じて輸出し、巨大な利益をあげていて、この生糸は「前橋糸」と呼ばれた。
「攘夷」の声をよそに、自由貿易を歓迎する空気は広がっていった。
 まず、民衆が豊かになった。
 東北の諸藩は貧しかったのだが、生糸の販売が増加して、一人当たりの収入が倍加し、誰も彼もが養蚕に励むようになった。外国相手では、莫大な生糸の需要があったからである。
 生糸の出来ないところでは、輸出用の綿花を作り、綿花が駄目なら輸出用の菜タネを作った。
 つまり、突然、経済圏が広がり、今まで売れなかったものが売れるようになり、仕事の種類も多種多様になっていったのである。
 民衆のほとんどが、この自由貿易を歓迎した。
 鎖国時代は、国内で小さな売買をしていたのだが、外国貿易では、何千両、何万両という大きな利益が手に入る可能性が出てきたのである。
 薩長などが攘夷を叫ぶのを尻目に、民衆は、さまざまな商売を求めて、一斉に外国貿易に乗り出してきたのだ。
 成功譚が次々に生まれていった。
 養蚕に励む者が多くなり、辛い奉公に出る者がいなくなった。
 家の普請をしたり、着物を買う者が多くなった。
 麦飯をやめて米飯を食べるようになった。
 自由貿易で、日本側が儲かっただけではない。アメリカ、イギリスなども当然、巨利を得た。例えばイギリスは、あっという間に、日本との貿易額が中国との貿易額の二倍になって、イギリス公使を驚かせた。
 こうなると、イギリスだけではなく、アメリカ、フランス、ロシアなども日本を侵略するよりも貿易の相手とするほうが得策と、考えるようになった。
 当時の最強国イギリスがいい例だった。一八六二年(文久二年)に、薩摩藩士にイギリス商人が殺害される「生麦事件」が発生した。イギリスでは、即刻報復の声があがったが、イギリス公使は、日本と戦うことを拒否し、当時、三隻のイギリス軍艦が横浜に入港していたのだが、海軍は拒否するどころか、この事件を黙殺したのである。日本との貿易を優先させたのである。



 
〈プロフィール〉
西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
1930年東京生まれ。63年にオール讀物推理小説新人賞、65年に『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞、81年『終着駅殺人事件』で日本推理作家協会賞、2004年には日本ミステリー文学大賞を受賞。鉄道ミステリーの第一人者。
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第七章 若き志士と現代の若者たち(最終回)
第六章 『奇は貴なり』の終章2
第六章 『奇は貴なり』の終章
第五章 『奇は貴なり』の続きと事件2
第五章 『奇は貴なり』の続きと事件
第四章 小説『奇は貴なり』のつづき2
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第三章 奇は貴なり2
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