連載
明治維新直前に死んだ男たち
第六章 『奇は貴なり』の終章 西村京太郎 Kyotaro Nishimura

 象二郎は、更に筆を進めて、

「新帝は、いまだ元服前の十四歳。新帝がかかる勅命を出すはずもなく、勅命の書かれた詔書は、摂政の二条斉敬の名で出されているが、斉敬公は人も知る親幕の人で、倒幕の詔勅を出すはずはなく、更に詔書に眼を通せば、日付も、裁可の記入もないのだ。
 これ即ち、偽の勅命の証拠なりと、藩主容堂公もお怒りになり、直ちに岩倉公に面会を求められて、
『幼沖(幼い)の天皇を擁して、権力を盗もうとするものではないか』
 と、難詰されたが、岩倉公は、青ざめた顔で、ひたすら、
『天皇の御命令であるぞ』
 と、繰り返すばかりだというのだ。
 愚考するに、公卿の岩倉具視や、薩摩の大久保は策士ではあるが、偽の勅命『偽勅』を出すほどの度胸があるとは思えず、たった一人の犯人が浮かび上がってくる。それは、薩摩の西郷隆盛である。
 噂によれば、西郷は、岩倉に向って、
『短刀一本あれば片がつく』
 と、励ましたといわれ、われらは、あの西郷に欺されたのである。
 茫洋とした表情、もの静かな言動、一見の優しさなど、私が薩摩の中で最も信頼していた人物である。
 その西郷が、今回の裏切りの巨魁だったのだ。
 無念である。
 西郷と刺し違えようと思うが、現在、大阪に上ってきた薩摩軍に囲まれていて、近づくことも出来ぬ」

「これ即ち、討論を断ち切り、薩摩の武力を利用しての、西郷の恫喝以外の何物でもない」

 と、後藤象二郎は、最後に記していた。
 龍馬も、西郷という男を信頼していた。
 最初に西郷を紹介してくれたのは、勝海舟だった。
「私が、薩摩で一番信用している男だよ」
 と、その時いった勝の言葉を、龍馬は今も覚えている。
 その後、龍馬は、薩摩屋敷に西郷を訪ねて行ったり、新撰組に追われた時には、匿って貰ったこともあった。
 西郷は、いつも誠実だった。裏切られた思いをしたことはない。
(その間も西郷は、倒幕の計画を持ち続けて、その機会を狙っていたのだろうか?)
 中岡慎太郎は、絶句していたが、
「薩摩の大久保や、長州の木戸、それに公卿の岩倉は、最初から信用していなかったが、西郷だけは信用できる男だと思っていた。その西郷に裏切られるとはなあ」
 と、溜息をついている。
 龍馬は黙って、宙を睨む。
「考えてみれば、あの西郷が一番の悪人だったんだ。巨悪の塊だ」
 中岡慎太郎の嘆声は続く。
 二人の様子を見て、庄五郎が、聞いた。
「何が起きるんですか?」
「戦争だよ」
 と、龍馬が、いった。
「誰と誰が戦争するんですか?」
「幕府軍と薩長の連合軍だ」
「それなら、勝負は最初からついているじゃありませんか。大幕府に薩長が敵うはずがありませんよ。まず、兵士の人数が違う。私が聞いたところでは、薩長連合でもせいぜい兵士の数は、五千ぐらいのものですよ」
「正確にいえば、四千五百」
 と、中岡慎太郎が、いった。



〈プロフィール〉
西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
1930年東京生まれ。63年にオール讀物推理小説新人賞、65年に『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞、81年『終着駅殺人事件』で日本推理作家協会賞、2004年には日本ミステリー文学大賞を受賞。鉄道ミステリーの第一人者。
Back number
第七章 若き志士と現代の若者たち(最終回)
第六章 『奇は貴なり』の終章2
第六章 『奇は貴なり』の終章
第五章 『奇は貴なり』の続きと事件2
第五章 『奇は貴なり』の続きと事件
第四章 小説『奇は貴なり』のつづき2
第四章 小説『奇は貴なり』のつづき
第三章 奇は貴なり2
第三章 奇は貴なり
第二章 十津川村と明治維新2
第二章 十津川村と明治維新
第一章 中井庄五郎を知っていますか2
第一章 中井庄五郎を知っていますか