よみもの・連載

御茶ノ水署シリーズ

影のない女(後編)

逢坂 剛Gou Ousaka

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〈しげ勘〉で昼飯をとったあと。
 梢田威(こずえだたけし)は斉木斉(さいきひとし)、五本松小百合(ごほんまつさゆり)と一緒に近くの談話喫茶、〈ティシャーニ〉へ回った。
 善後策を講じる、という名目でコーヒーを飲む。
 もっとも、事件のことはそっちのけで、近ごろお茶の水や神保町(じんぼうちょう)界隈(かいわい)の、街の様子が変わったことを、あれこれとあげつらった。
「いちばん変化が目立つのは、すずらん通りだな。おもての靖国(やすくに)通りに比べて、あそこはわりと変化が緩やかだったのに、ここへきてにわかにばたばたと、動き出した。ことに、〈キッチン南海〉が店を閉めたのには、驚いた。例の、おれたち常連の行列がなくなっただけで、すずらん通りが急に寂しくなった気がする」
 梢田がこぼすと、斉木はせせら笑った。
「ろくにはいったこともないくせに、常連風を吹かすのはやめとけ」
「おれは、行列するのが苦手だから、ここんとこ遠慮してただけさ。あんなふうに、やじ馬客が押しかけなかったころは、よく食いに行ってたんだが」
「まあ、コック長もいい年になったし、あの建物自体がかなりの年代物だった。解体、建て直しで閉店となるのも、無理はないだろう」
 小百合が口をはさむ。
「でも、副コック長が〈神保町花月〉の近くに、店名を引き継いで新規開店したから、いいじゃありませんか」
 梢田は、小百合を見た。
「ほんとか。おれは、聞いてないぞ」
 また斉木が、せせら笑う。
「挨拶状がくる、とでも思ったのか」
 梢田は、憮然(ぶぜん)とした。
「〈神保町花月〉といえば、すぐ目の前にあった〈キッチンジロー〉も、店を閉めちまったな。あそこのメンチ&コロッケは、ここ五十年味が変わってなかったから、おれは好きだったんだが」
「おまえ、五十年前に食ったことがあるのか」
 斉木に突っ込まれて、ぐっと詰まる。
「五十年前に食ったやつが、そう言っていた。おれも五十年後に、そう言ってやるつもりだ。殉職でもしないかぎりな」
 斉木は三たび、せせら笑った。
「殉職した方がいいぞ。二階級特進で、警部補になれるからな。定年まで勤めても、どうせ巡査長のままだ」
 むっとする。
「あんたが、昇任試験のじゃまさえしなけりゃ、おれも定年までには警部補になる」
 そんなむだ話をしているうちに、たちまち時間がたってしまった。
 御茶ノ水署へもどったのは、三時半過ぎだった。

プロフィール

逢坂 剛(おうさか・ごう) 1943年東京生まれ。80年「暗殺者グラナダに死す」で第19回オール讀物推理小説新人賞を受賞。86年に刊行した『カディスの赤い星』で第96回直木賞、第40回日本推理作家協会賞、第5回日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2014年、第17回日本ミステリー文学大賞を受賞。15年『平蔵狩り』で第49回吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズ、「御茶ノ水署」シリーズほか著書多数。

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