よみもの・連載

御茶ノ水署シリーズ

影のない女(後編)

逢坂 剛Gou Ousaka

 木下をにらんで言う。
「ポスターの裏の隠し戸を、ボンドか何かでふさいだな」
 斉木の指摘に、梢田はやはりそうかと納得して、一緒に木下をにらみつけた。
 木下が両腕を広げ、大まじめな顔で応じる。
「隠し戸だなんて、とんでもない。ゆうべ閉店したあと、あの壁を押したり叩(たた)いたりしたところ、妙にぼこぼこするんですよ。それで調べてみると、中が空洞になってましてね。つまり、壁芯がはいってなかった。この建物を、最初に建てたやつが金をけちって、芯を入れなかったんですね、きっと」
 あまりにしらじらしい返事に、梢田は調子を合わせて言った。
「そこで、外階段の方の壁も調べてみたら、同じようにぼこぼこする。しかたなく、そっちの隠し戸もふさいじまった、というわけか」
 木下が、しれっとしてうなずく。
「いや、まったく、おっしゃるとおりです。なんなら外へ回って、調べてもらってもいいですよ」
 あっけらかんとした返事に、さすがに梢田も堪忍袋の緒が切れて、カウンターによじのぼろうとした。
 すると、斉木がぐいと肩をつかんで、引き留める。
「まあまあ、落ち着け。安普請らしいから、うっかり乗るとカウンターがつぶれるぞ」
 梢田は危うく思いとどまり、目の前のグラスをつかんだ。
 水割りを飲み干し、木下に指を突きつける。
「風俗店が、店の構造や設備を増築したり、改築したりするときはだな、公安委員会の承認が必要だ。無届けでやれば、風営法違反になる。それくらい、知ってるだろう」
 詰め寄ると、木下より先に斉木が驚いた顔で、梢田を見る。
 梢田はさりげなく、斉木に声をかけた。
「どうした。間違ったことを言ったか」
 斉木が珍しく、いかにも見直したという目つきで、首を振る。
「いや、間違ってない。そのとおりだ」
 それから木下に目をもどし、梢田の質問のあとを続けた。
「どうなんだ、木下。きのうのきょうじゃ、届けを出す暇はなかったはずだぞ」
 そう詰め寄られて、木下は時間稼ぎをするように、手近のグラスをわざとらしく、ふき始めた。
「まさか、その程度で届け出が必要とは、思いませんでした。壁の空洞をふさぐのは、テーブルや椅子を交換したり、壁紙を張り替えたりするのと、同じでしょう。現に、業者なんか入れずに、あたしが一人で今日の昼間、やったんです。簡単な修理修繕の一種だし、増改築には当たらない、と思いますがね」
 木下の言うとおりだったが、梢田はなおも食い下がった。
「しかし、少なくとも営業許可を申請したとき、トイレからも店に出入りできることを、申告しなかったよな」
「しかたないでしょう、あたしも知らなかったんですから」
 そう言われると、あとが続かなくなる。

プロフィール

逢坂 剛(おうさか・ごう) 1943年東京生まれ。80年「暗殺者グラナダに死す」で第19回オール讀物推理小説新人賞を受賞。86年に刊行した『カディスの赤い星』で第96回直木賞、第40回日本推理作家協会賞、第5回日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2014年、第17回日本ミステリー文学大賞を受賞。15年『平蔵狩り』で第49回吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズ、「御茶ノ水署」シリーズほか著書多数。

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