よみもの・連載

御茶ノ水署シリーズ

影のない女(後編)

逢坂 剛Gou Ousaka

「とぼけるのはやめろ。神だけじゃなくて、おれも知りたい。頼むから、教えてくれ。小学校のときにいじめたことは、いさぎよくあやまるからさ」
 梢田が言うと、斉木はいやな顔をした。
 そのことに触れられるのを、斉木がいちばん苦手とすることを、梢田は承知していた。
 しばらく考えたあと、斉木がしぶしぶという顔つきで、口を開く。
「実は、高梨が新宿中央署にいたあいだ、木下も並びの区役所通りのビルで、小さなバーをやっていたそうだ」
 梢田は、顎を引いた。
「ほんとか。すると、高梨と木下は、そのころから顔なじみだった、と」
「顔なじみも顔なじみ、木下は新宿のクスリの捜査がらみで、高梨のSを務めていたそうだ」
「Sだと」
 唖然(あぜん)とする。
 Sというのは、捜査関係者のために裏で情報収集、あるいはスパイ活動を行なう、江戸時代の岡っ引きや、手先のようなものだ。
「しかも二人は、千葉の勝浦だか御宿(おんじゅく)だかの中学校で、同級生だったらしい」
「同級生だと。木下の方が、年上じゃないのか。同い年には見えないぞ」
「おれたちだって、小学校の同級生には、見えないだろう。おれの方が、ずっと貫録があるからな」
 斉木がうそぶき、梢田はむすっとした。
「その話は、どうでもいい。それで木下は、高梨が御茶ノ水署へ転勤するのに合わせて、一緒にこっちへ移って来た、と」
「そういうことになるな。木下は、新宿の売人の元締めの筋から、御茶ノ水界隈でクスリを密造、販売しているやつがいる、という話を聞かされた。たぶん、戸塚というそいつの名前も、茗渓予備校の講師だということも、教えられたはずだ。元締めは、高梨が転勤するのに合わせて、戸塚を御茶ノ水から追い払おう、と考えた。戸塚が作った地盤やルートを、そっくりいただくつもりでな」
「それで木下をたきつけて、高梨に戸塚を追い払わせようと、たくらんだわけか」
 斉木がうなずく。
「木下からの話だから、むろん高梨に否やはないはずだ。立花への、手土産にもなる」
 梢田は、顎をなでた。
「なるほど。新宿は、取り締まりがどんどん厳しくなって、仕事がやりにくくなった。その点、御茶ノ水界隈は手つかずで、開拓の余地があるからな」
「おぼっちゃまくんも、高梨から事前にその話を聞かされて、そう思ったそうだ」
 斉木が言い、梢田も親指を立てた。

プロフィール

逢坂 剛(おうさか・ごう) 1943年東京生まれ。80年「暗殺者グラナダに死す」で第19回オール讀物推理小説新人賞を受賞。86年に刊行した『カディスの赤い星』で第96回直木賞、第40回日本推理作家協会賞、第5回日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2014年、第17回日本ミステリー文学大賞を受賞。15年『平蔵狩り』で第49回吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズ、「御茶ノ水署」シリーズほか著書多数。

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