よみもの・連載

御茶ノ水署シリーズ

影のない女(後編)

逢坂 剛Gou Ousaka

「しかし、立花課長はいつの間にマトリの、それも女の捜査員なんかと、手を組んだんだろうな。そんな、器用なまねができるような男には、見えないがなあ」
「あれでけっこう、口説きじょうずなのかもしれんぞ」
 そのとたん、いきなりドアが開いた。
 当の立花信之介が、戸口から顔をのぞかせる。
「だれが、口説きじょうずですって」
 梢田は、椅子から飛び上がった。
「も、もちろん、斉木係長のことですよ、課長」
 立花はにこりともせず、少しのあいだ梢田を見つめてから、斉木に呼びかけた。
「斉木さん。ちょっとご相談があるので、署長室までご一緒してもらえませんか」
 斉木がさっと立ち上がる。
「了解です」
 立花と斉木が、小会議室から出て行く。
 梢田は、ひたいの汗をふいた。
 一分とたたぬうちに、五本松小百合がトレイにお茶を二つ載せ、はいって来た。
 梢田と少し離れて、テーブルの同じ側に腰を下ろす。
 梢田は、喉がからからだったことを思い出し、急いでお茶を飲んだ。
 小百合が、くすりと笑う。
「係長と、ずいぶん長い打ち合わせを、してましたね」
「ああ。せっかくの、おれの手柄を立花課長のご意向で、保一に持っていかれたからな。
これからは、おれたち二係もクスリがらみの事件を、扱わなきゃならなくなる。そのためには、やはり高梨のような新しい戦力が必要だ、と話していたところさ」
 梢田がぼやくと、小百合はまたくすりと笑って、すぐに真顔にもどった。
「それなら、五本松が立花課長の了解を得た上で、新戦力をリクルートしてきました」
 驚いて、顔を見直す。
「ほんとか。いつ着任するんだ。係長は、承知してるのか」
「係長は、ご存じありません。新戦力は、女性なんです」
 あっさり言ってのける小百合に、梢田はたちまち頭が混乱した。
 前夜の女のことが、まぶたの裏に浮かぶ。
「例のマトリから、引っ張ってきた女か」
 小百合は少し間をおき、おもむろに応じた。
「いいえ。梢田さんもご存じの、松本ユリという女性です」
 それを聞いて、梢田は頭の上に火球が落ちたように驚き、あっけにとられた。
 前夜、〈ブライトン〉から出て来た女を見たとき、ちらりと頭に浮かんだかすかな疑惑が、たちまち頭の中で破裂した。
 松本ユリは、以前白山(はくさん)通りの陣馬(じんば)書房、という古書店の店主の姪(めい)、と称していた女だ。事実、非番の日はときどき古書市へ出向き、店の手伝いをしたものだった。
 しかし、その名前もいでたちもかりの姿で、実際は五本松小百合として、御茶ノ水署の生活安全課に勤務する、れっきとした警察官だった。

プロフィール

逢坂 剛(おうさか・ごう) 1943年東京生まれ。80年「暗殺者グラナダに死す」で第19回オール讀物推理小説新人賞を受賞。86年に刊行した『カディスの赤い星』で第96回直木賞、第40回日本推理作家協会賞、第5回日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2014年、第17回日本ミステリー文学大賞を受賞。15年『平蔵狩り』で第49回吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズ、「御茶ノ水署」シリーズほか著書多数。

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