よみもの・連載

御茶ノ水署シリーズ

影のない女(後編)

逢坂 剛Gou Ousaka

 梢田はこめかみを掻(か)き、少しのあいだ考えた。
 おもむろに、口を開く。
「だとすると、今回の一連のどたばたは、五本松と高梨で考えたわけか」
「ええ。ちょっと、考えすぎた気もしますけど」
 梢田は苦笑した。
「相手が御茶ノ水の、予備校講師のしろうとだったから、あれですんだんだ。新宿や、池袋のくろうと相手だったら、あんなに簡単には引っかからなかったぞ」
「かもしれませんね」
 しれっとして言う。
「ついでに聞くが、高梨とマトリの女捜査員がコンタクトした、というのは嘘だろう」
 梢田が突っ込むと、小百合は肩をすくめた。
「ええ、嘘です。あのときは、九段下の喫茶店で高梨さんと、打ち合わせをしたあとでした。帰ろうとしたとき、係長と梢田さんが高梨巡査部長に気づいて、あとを追おうとするのが見えたものだから、つい後ろから声をかけちゃったんです」
「そのあと、すぐに〈しげ勘〉で昼飯を食いながら、よくあんな作り話を思いついたな」
「たまたま近くに、マトリのオフィスがあるのを、思い出したものですから」
 梢田は椅子にもたれ直し、つくづくと小百合を見直した。
「だとしたら、最初に〈ブライトン〉でおれたちと鉢合わせしたとき、いくらか焦ったんじゃないか」
「いくらかどころか、大いに焦りましたよ。以前の松本ユリと、違った扮装をしていてよかった、と思いました。それでも、梢田さんには見破られるんじゃないかって、ひやひやものでした」
「トイレの隠し戸で、助かったな」
「そのことは、木下さんに教えられていたので、助かりました。ええと、木下さんが、高梨さんのSだということは、ご存じでしたか」
「ああ、それはさっき聞いた」
 小百合はお茶を飲み、口調をあらためた。
「いずれ、梢田さんにはばれるだろうと思って、ゆうべは以前の松本ユリに近い、ワイルドな格好をしたんです。分かりましたか」
「ちらっと、そういう考えが頭をよぎったのは、確かだ。しかし、まさかその直感が当たるとは、思わなかった。とにかく、間違ってもあの格好で、係長の前に出るのは、やめた方がいい。またぞろ、追い回されるのがおちだからな」
 そのとき、またドアが前触れもなく開き、声がかかった。
「だれがだれに、追い回されるんだって」
 小百合は、梢田と顔を見合わせると、肩をすくめて舌を出した。
 斉木が、いかにも不機嫌そうに、二人の顔を見比べる。

(おわり)

プロフィール

逢坂 剛(おうさか・ごう) 1943年東京生まれ。80年「暗殺者グラナダに死す」で第19回オール讀物推理小説新人賞を受賞。86年に刊行した『カディスの赤い星』で第96回直木賞、第40回日本推理作家協会賞、第5回日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2014年、第17回日本ミステリー文学大賞を受賞。15年『平蔵狩り』で第49回吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズ、「御茶ノ水署」シリーズほか著書多数。

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