よみもの・連載

御茶ノ水署シリーズ

地獄への近道

逢坂 剛Gou Ousaka

 開演の十九時が近づくと、あたりにだれもいなくなった。予約した客は、どうやら全員入場したらしい。
 梢田は先に立って、狭い階段をあがった。小百合も、あとに続いた。
 奥の建物の、裏壁の手前に小さな踊り場があり、回れ右をしてのぼりきる。
 右手にドアが見えた。
 脇に、下と同じ表示の木の札が、かけてある。
 ドアを引くと、戸口の脇に梢田の肩にも届かない、小柄な女が立っていた。
「こんばんは。いらっしゃいませ」
 そう挨拶されて、梢田はうわの空でうなずき返しながら、女の白いセーターの下から突き出す、砲弾のようなりっぱなバストに、目を奪われた。
「梢田さん」
 小百合に背中をつつかれ、あわててネットバンキングの領収書を、女に手渡す。
 女はそれを受け取ると、ドリュー・バリモアのような真っ赤な唇で、にっと笑いかけてきた。
「お好きな席へどうぞ」
 そう言われて、室内を見回す。
 横に五つの椅子席が、四列並んだだけの、狭いスペースだ。最後列の、右端の二席しか、あいていない。お好きな席、もないものだ。
 この日、週明けの月曜日。
 ここに足を運んだのは、仕事というわけではない。こうなったことには、それなりのいきさつがある。
 かねがね、小百合は年に似合わず古い映画が好きだ、と聞いていた。
 なにしろ、休日はハリウッド華やかなりしころの、クラシック作品をDVDで見まくって、過ごすらしい。
 その小百合が昼間、隣の席でパソコンをいじりながら、急に映画に付き合ってくれないか、と持ちかけてきた。すずらん通りの裏に、小さな映画館ができた、というのだ。
 たまたま係長の斉木斉(さいきひとし)は、署の管理職研修で不在だった。
 梢田はすぐに、その誘いに乗った。小百合と二人で、映画を鑑賞する機会など、めったにない。別に、よこしまな野心など抱いていないが、斉木がいないというだけで、くつろいだ気分になる。
 映画のあと、二人で一杯やりながら、斉木の仕事ぶりをこきおろしたら、さぞすっきりするだろう。
 とりあえず、十八時半ごろまで仕事をするふりをしてから、一緒に署を出た。
 すずらん通りにおりるあいだに、その映画館の特徴やらシステムやらを、詳しく小百合から聞かされた。
 よく分からないが、予約も支払いもパソコンですませ、何をやるか分からないまま映画を見る、というのがおもしろい。

プロフィール

逢坂 剛(おうさか・ごう) 1943年東京生まれ。80年「暗殺者グラナダに死す」で第19回オール讀物推理小説新人賞を受賞。86年に刊行した『カディスの赤い星』で第96回直木賞、第40回日本推理作家協会賞、第5回日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2014年、第17回日本ミステリー文学大賞を受賞。15年『平蔵狩り』で第49回吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズ、「御茶ノ水署」シリーズほか著書多数。

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