よみもの・連載

御茶ノ水署シリーズ

地獄への近道

逢坂 剛Gou Ousaka

 実際に中にはいり、最後列の席に腰を落ち着けてみると、外で想像していたよりもまだ狭く、小さな居酒屋でテレビを見る、といった感じだ。
 椅子席の正面は、真っ白な壁だった。どうやらそこが、スクリーンになるらしい。
 ドアの真上の、天井とほとんど接するような位置に、映写機らしき小さな器械が、取り付けてある。むろん、昔ながらのフィルムの映写機ではなく、DVDのプロジェクターだろう。
 ほどなく、白いセーターの女が白壁の前に立ち、愛想笑いを浮かべて言った。
「お待たせしました。クラシック映画鑑賞館の館主の、ミスミ・スタウデンマイアでございます。よろしくお願いします」
 深ぶかと頭を下げる。
 ミスミはともかく、スタウなんとかという長たらしい名字は、外国姓のように聞こえた。しかし、しゃべる言葉はいちおう、まともな日本語だ。
 かすかながら、アクセントに癖があるところをみると、日系の外国人かもしれない。あるいは、単に外国暮らしが長かったためか。
 だれかが、ためらいがちに手を叩(たた)くと、すぐにその音に誘われるようにして、拍手がわく。
 小百合が、その拍手の波に加わったので、梢田もおざなりに手を叩いた。
 ライトを浴びる、ミスミなんとかと名乗った女を、つくづくとながめる。
 ふと、これはだいぶ前に死語になった、いわゆる〈トランジスタ・グラマー〉だ、と気がついた。小柄ではあるが、砲弾バストと豊かなヒップは、日本人離れしたりっぱなもので、なかなかの迫力だ。
 ただ、濃いめの化粧でごまかしているものの、それなりの年だということは隠せず、四十にはなっていると思われた。
 それでも、〈トランジスタ・グラマー〉という言葉そのものより、だいぶあとに生まれたことは確かだ。梢田にしたところで、その呼び名にふさわしい女を目にするのは、これが初めてだった。
 拍手が収まるのを待って、ミスミなる女は先を続けた。
「これから今夜の鑑賞会を、始めさせていただきます。ご案内のように、わたくしどもは月曜日と木曜日の週二回、十九時より一作品を一回だけ上映する方式で、当館を運営いたしております。日本で、一度も上映されたことのない作品や、上映されたとしてもこれまでビデオ化、DVD化されていないクラシック作品を、お見せするのが基本的な方針でございます。また原則として、同じ作品を繰り返し上映することは、ございません。そのため、いわば一期一会の上映となりますので、中には毎回かよってくださるお客さまも、いらっしゃいます」
 そこで、また軽く頭を下げ、さらに言葉を継ぐ。
「さて、今夜の上映作品でございますが、特別に珍しいフィルム・ノワールを、ごらんいただきます。いつものように、古い映画ファンのお客さまが、多いようにお見受けいたします。したがって、あるいはご存じのかたもいらっしゃる、と思います。戦前からの名優、ジェームズ・キャグニーが初めてメガフォンを取った、『地獄への近道』でございます。これは、日本でも公開されましたので、ごらんになったかたもおられましょう」
 それを聞いて、すわった客たちのあいだから、小さなため息が漏れる。頭が二つ三つ、うなずいたりもした。
 どこか近くで、寄せ木でできた床がみしり、と音を立てた。

プロフィール

逢坂 剛(おうさか・ごう) 1943年東京生まれ。80年「暗殺者グラナダに死す」で第19回オール讀物推理小説新人賞を受賞。86年に刊行した『カディスの赤い星』で第96回直木賞、第40回日本推理作家協会賞、第5回日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2014年、第17回日本ミステリー文学大賞を受賞。15年『平蔵狩り』で第49回吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズ、「御茶ノ水署」シリーズほか著書多数。

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