地獄への近道
逢坂 剛Gou Ousaka
2
拍手が収まり、明かりがつく。
ミスミが、パーティションの陰から現れて、壁の前に進み出た。
「いかがでしたか。お楽しみいただけましたでしょうか」
ミスミの問いかけに、もう一度拍手が起こる。
梢田威も、隣にすわる五本松小百合も、それに加わった。映画はおおむね全員に、好評をもって迎えられたようだ。
静かになるのを待って、ミスミが客たちに指を立てる。
「実は、この映画には、原作があります。タイトルを、丹念にチェックされたかたは、原作者の名前が出たことに、気がつかれたのではないか、と思います。どなたか、お目に留められたかたは、いらっしゃいませんか」
だれも答える者はなく、室内がしんとなった。
ミスミは微笑を浮かべ、あらためて口を開いた。
「どなたも、気づかれなかったようですから、申し上げます。原作者は、イギリスのカトリック作家、グレアム・グリーンです。作品名は」
「拳銃売ります」
だれかが突然、ミスミの話を先取りするように、割り込んできた。
梢田は驚いて、声がした方に目を向けた。
同じ最後列の、左端にすわった男のようだった。
チェックのハンチングをかぶり、白い顎髭(あごひげ)をきれいに刈り込んだ、六十代半ばに見える男だ。
男は背筋をぴんと伸ばし、ミスミをじっと見つめている。
梢田は、隣にすわる五本松小百合に、ささやきかけた。
「あのじいさん、何を言ってるんだ。拳銃を売ります、とはどういう意味かな」
小百合が返事をする前に、ミスミがその男をまっすぐに指さす。
「そのとおりです。グリーンの『拳銃売ります』が、この映画の原作です。よく、お分かりになりましたね」
梢田は、肩の力を抜いた。
拳銃売ります、が小説のタイトルだとは、夢にも思わなかった。
「まあ、なんとなく、若いころ読んだのを、思い出しましてね」
男が、あいまいな口調で答えると、ミスミは微笑を浮かべた。
「でしたら、原作者がグレアム・グリーンだということも、ご存じなんでしょう。さきほどは、手を上げられませんでしたが」
「ええ、まあ」
男がまた、生返事をする。
ミスミは、足を踏み替えて言った。
「失礼ですが、お名前をおうかがいしても、よろしいでしょうか」
わずかに間をおいて、男がしわがれ声で答える。
「榊原(さかきばら)、といいます」
ミスミの頬が緩んだ。
「ああ、榊原さんですね。毎回のように、足を運んで来ていただいて、ありがとうございます」
「いや、どうも」
榊原は、ぶっきらぼうに応じた。
二人のやりとりから、おそらく榊原はこの鑑賞会の常連で、まめにここへ来ているらしい、と察しがつく。