よみもの・連載

御茶ノ水署シリーズ

地獄への近道

逢坂 剛Gou Ousaka

「榊原さんは、本日の映画をグリーンの原作小説と比べて、どう思われましたか」
 ミスミの問いに、榊原はまた少し間をおいて、律儀に答えた。
「小説の、細かい筋立てはあまり詳しく、覚えてないんです。しかしほぼ原作に、忠実なんじゃないですかね。ただ、原作の殺し屋の名前はカイルではなく、レイヴンだったと思う。しかも、体の一部にハンディがある、という設定でした。昔読んだとき、このハンディはいかがなものか、と思った記憶があります。やはり、映画では差し障りがあるので、オミットしたんでしょうな」
 ミスミが、にわかに話を変える。
「実はこの小説は、第二次大戦中の一九四二年にも一度、映画化されています。『地獄への近道』の、十五年前ですね。この映画は小説と同じく、〈This Gun For Hire〉というタイトルが、つけられました。原作は日本でも、『拳銃売ります』という題名で、翻訳されています。ただ、映画の劇場公開は何十年も遅れて、二十一世紀になってからでした。邦題は、小説の〈売ります〉が、〈貸します〉となっています」
 そこで一息入れ、さらにあとを続けた。
「本日上映されたリメイク版では、細かいところにいくらか手直しがありますが、大筋でオリジナル版の、『拳銃貸します』の脚本がそのまま、流用されています。また、オリジナル版では、殺し屋の名前は原作どおりの、レイヴンになっています。レイヴン役を演じたのは、『シェーン』で知られるアラン・ラッドです。ラッドは、それ以前になんと四十本以上の、出演作があります。ただし、大半がタイトルに名前の出ない、端役でした。したがって、『拳銃貸します』のレイヴン役は大抜擢で、事実上のデビュー作といっていい、と思います。タイトルのキャスティング・ランクでは、いちばん最後に紹介されていますが、実質的にはラッドの主演作品、といっていいでしょう」
 その説明が、途切れるのを待っていたように、榊原が口を開いた。
「わたしは、そのオリジナル版もDVDで見ましたが、ラッドのハンサムで無表情な顔立ちが、フィルム・ノワールの雰囲気にぴったりだった、と思います。ただラッドは、特にアクション・シーンで、体の動きに切れがないんですね。ことに、走る姿なんかちょこまかしていて、見られたもんじゃなかった」
 客席に、くすくす笑いが漏れる。
 ミスミも、苦笑した。
「そうかもしれませんね。ラッドは、ハリウッド男優としては背が低くて、百七十センチそこそこしか、ありませんでした。そのため、女優とのラブシーンでは踏み台を使う、といわれたくらいです」
 それを聞いて、さらに笑いが広がった。
 そこで言葉が途切れ、少しのあいだ沈黙が流れる。
 ミスミが客席を見回し、あらためて口を開いた。
「そのほかに、何かご質問がございましたら、ご遠慮なくどうぞ」
 すると、驚いたことに小百合が手を上げ、立ち上がった。
「五本松といいますが、一つお尋ねしてよろしいですか」
「はい、どうぞ」
「わたしも実は、今お話に出た『拳銃貸します』を、DVDで見ています。それで、きょう拝見した『地獄への近道』が、大筋で同じ構成だということが、分かりました。ただ、殺し屋役の男優はともかくとして、オリジナル版のヴェロニカ・レイクと、リメイク版のジョージアン・ジョンスンを比べると、ジョージアンの方がはるかにうまい女優だ、と思います。ヴェロニカは、一九四〇年代にラッドと何度か組んで、そこそこ人気があったようですが、五〇年代にはいるとテレビ出演が中心になり、結局消えてしまいました。一方の、ジョージアンは美人でしたし、演技もうまくて個性もありました。ところが、この作品以外に出演作があるのかどうか、聞いたことがないんですね。もしあるのでしたら、教えていただけませんか」
 梢田は、あっけにとられて、小百合の横顔を見上げた。

プロフィール

逢坂 剛(おうさか・ごう) 1943年東京生まれ。80年「暗殺者グラナダに死す」で第19回オール讀物推理小説新人賞を受賞。86年に刊行した『カディスの赤い星』で第96回直木賞、第40回日本推理作家協会賞、第5回日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2014年、第17回日本ミステリー文学大賞を受賞。15年『平蔵狩り』で第49回吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズ、「御茶ノ水署」シリーズほか著書多数。

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