よみもの・連載

御茶ノ水署シリーズ

地獄への近道

逢坂 剛Gou Ousaka

 榊原は、なぜか引き下がろうとせず、言い返した。
「わたしは、この鑑賞館が開設されて以来、ほとんど全作品を見ています。今のところ、確かに日本で映像化されていない、珍しいものばかりだった。たぶんテレビ放映も、されなかったでしょうな」
 ミスミの表情が、いくらか柔らかくなる。
「おっしゃるとおりです。アメリカでしか、映像化されていない作品を選んで、わたくしが字幕をつけました」
「今後、それらが日本で映像化された場合は、どうするんですか」
 しつこく食い下がられて、ミスミは少し困惑したようだ。
「時代的に、パブリック・ドメインになった作品については、別に問題ないはずですが」
 榊原は、さも納得したというように、二度三度とうなずいた。
 それから、にわかに胸をそらして、最後っ屁(ぺ)を放った。
「さっきの説明で、『地獄への近道』は、その十五年前に作られた『拳銃貸します』の、リメイクだとおっしゃいましたね」
 ミスミの目を、ちらりと不安の色がよぎる。
「ええ、そう申し上げました」
「そのとき、『拳銃貸します』は一九四二年に製作された、とおっしゃらなかったかな」
「はい、そのように」
 そう言いかけて、ミスミは言葉を途切らせた。
 榊原が、微笑を浮かべる。
「簡単な算数ですよ。一九四二年の十五年後は、一九五七年だ。だとすると『地獄への近道』は、一九五三年以前に製作された、パブリック・ドメインに当たらない作品、ということになる。違いますかな」
 ほかの客はいなくなり、四人だけが残っていた。
 ミスミ鑑賞館は、白い壁と木の床だけでできた、シンプルな空間になってしまった。
 ミスミは、組んだ腕をそろそろと腰まで落とし、スカートのしわを伸ばすようなしぐさをした。
 トーンの落ちた声で言う。
「おっしゃるとおりです。つい、口がすべってしまいました。確かに、『地獄への近道』は『拳銃貸します』の十五年後、一九五七年の製作ですね」
 榊原の顔が、少し暗くなった。
「ちなみに、この作品は日本はもちろん、アメリカでもDVDが発売された形跡がない。さらに、全部調べたわけじゃないが、日本でのテレビ放映もなかったか、あったとしても回数が少なかったでしょう。どちらにせよ、この映像はかなり珍しいものだ、ということができる」
 榊原がそこで言葉を切ると、ミスミはごくりと喉を動かした。
 榊原は続けた。
「さっきの映画は、アメリカのテレビで昔放映されたのを、家庭用ビデオかDVDに録画したものでしょう。おそらく、十五年か二十年くらい前のことだ、と思う。あなたはそのDVDか、それをまたダビングしたDVDを、どこかで手に入れたわけでしょうな」
 ミスミは、しばらく口をつぐんだままでいたが、あきらめたように口を開く。
「何がおっしゃりたいんですか、榊原さんは。ジェームズ・キャグニーの代理で、この映画の上映料を請求したい、とでも」
 榊原は、とんでもないというように、顔の前で手を振った。
「いや、わたしはただ、あなたがそのDVDをいつごろ、どうやって手に入れたかを、知りたいだけなんです。まあ、お差し支えなければ、ですが」
「差し支えはありません」
 そう答えたのは、ミスミではなかった。
 むろん、梢田でも小百合でもない。
 その声は、部屋の隅に立てられた、パーティションの奥から、聞こえてきた。
 女の声だった。

プロフィール

逢坂 剛(おうさか・ごう) 1943年東京生まれ。80年「暗殺者グラナダに死す」で第19回オール讀物推理小説新人賞を受賞。86年に刊行した『カディスの赤い星』で第96回直木賞、第40回日本推理作家協会賞、第5回日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2014年、第17回日本ミステリー文学大賞を受賞。15年『平蔵狩り』で第49回吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズ、「御茶ノ水署」シリーズほか著書多数。

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