よみもの・連載

御茶ノ水署シリーズ

天使の夜

逢坂 剛Gou Ousaka

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 五本松小百合(ごほんまつさゆり)が、丸めたタウン誌で行く手を指す。
「あ、ありました。あのお店ですね」
 梢田威(こずえだたけし)は足を止め、小百合の指す方に視線を向けた。
〈開陳楼〉と、白地に赤で書かれた袖看板が、目にはいる。
「あれか。知らなかったな。いつごろできたんだ」
 小百合は、タウン誌を指で叩(たた)いた。
「これによると、半年くらい前ですね」
 梢田は振り向いた。
「あんたは、知ってたか」
 斉木斉(さいきひとし)が、ぶすっとして肩を揺する。
「できたのは知ってたが、はいったことはない。おれは、高級店しか行かない主義だからな、原則として」
「ふん。原則より、例外の方が多いくせに、よく言うぜ」
 そこは神田神保町(かんだじんぼうちょう)二丁目の、奇数番地に当たる靖国(やすくに)通りの北側で、水道橋(すいどうばし)につながる白山(はくさん)通りから左へ、道を二本ほどはいった見当になる。
 目当ての店は、〈Go to Ocha-Jin〉という情報誌に紹介された、〈開陳楼〉というラーメン屋だった。
〈Go to Ocha-Jin〉は、つい二週間ほど前に創刊された、御茶ノ水と神保町界隈(かいわい)を対象とする、タウン誌だ。
 小百合が、その創刊号に載った店の紹介記事に目を留め、行ってみようと言い出した。
 記事によると、神保町にしては少し値段が高めだが、そこそこにうまいらしい。
「とにかく、一度食べてみましょうよ。そうすれば、紹介記事のとおりかどうか、分かりますから」
 小百合があらためて言い、さっさと歩きだす。
 梢田は、腕時計を見た。一時半過ぎだった。
 昼休みの時間、三人は地元の警備会社の会議室で、幹部連中と情報交換の定例会議を行なった。
 御茶ノ水署の署長命令で、今月は管内服務規定強化月間とされ、管内のいかなる場所においても、お茶以外の飲食の提供を受けてはならぬ、とのお達しが出ていた。
 そのため、会議の席には幕の内弁当が用意されたが、三人ともお茶以外に手をつけなかった。
 もっとも、終了後梢田は斉木に目顔で合図され、目の前の弁当を持ち出そうとして、小百合にたしなめられる、という一幕があった。
 しぶしぶ、手ぶらで会議室をあとにしたが、ビルを出たところで小百合に、文句をつけた。
「持って帰って、自分の家で食う分には、問題ないんじゃないか」
 しかし、小百合に冷たい目で見返されて、それ以上何も言えなかった。
 そのかわり、と言って小百合が提案した店が、〈開陳楼〉というわけだ。
 店の前に、だれもいないのを見て、梢田は斉木に言った。
「時間的に、昼のピークは終わったにしても、だれも並んでないのは気に入らんな。人気店というのは、時間に関係なく開店してるあいだ、行列が絶えないはずだぞ」
 斉木が、ぞっとしない表情で、顎を掻(か)く。
「この分じゃ、ピーク時でも行列とは縁がなさそうだな」
 梢田も斉木も、あまり意気の上がらない足取りで、小百合のあとを追った。

プロフィール

逢坂 剛(おうさか・ごう) 1943年東京生まれ。80年「暗殺者グラナダに死す」で第19回オール讀物推理小説新人賞を受賞。86年に刊行した『カディスの赤い星』で第96回直木賞、第40回日本推理作家協会賞、第5回日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2014年、第17回日本ミステリー文学大賞を受賞。15年『平蔵狩り』で第49回吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズ、「御茶ノ水署」シリーズほか著書多数。

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