連載
沖縄はどう生きるか
①うるま市女性暴行殺人事件傍聴記 佐野眞一 Shinichi Sano

 シンザト被告(旧姓ガドソン)はニューヨークのハーレムで育ち、極貧の母親はシンザト被告を養育することができなかった。
 シンザト被告は男親も知らない環境で育った。母親は息子の育児を放棄したため、被告は複数の里親の許(もと)を転々として育った。
 成人した被告は米軍基地内にあるメリーランド大学ユニバーシティー・カレッジ校を卒業後、2007年7月に海兵隊に入隊した。
 海兵隊時代は那覇市に隣接した浦添市にあるキャンプ・キンザーなどで主に兵站(へいたん)業務に従事した。2014年9月9日に三等軍曹で除隊後は、ワシントン勤務となった。
 そして、海兵隊を除隊する直前に、沖縄生まれの女性とニューヨークで結婚式をあげた。この結婚を機に海兵隊時代に暮らした沖縄に移住した。
 事件当時は前述したように、沖縄本島中部のキャンプ・ハンセン内などで軍属として働いていた。
 この経歴からもわかるように、シンザト被告は沖縄の米軍基地内の事情に精通していた。こういう経歴をもった被告だからこそ、事前に準備していたスーツケースや事件当日の着衣を犯行後、勤務先であるキャンプ・ハンセン内のごみ捨て場に投棄することができた。
 こうした事情があることを十分知りながら、弁護側が「事件は米軍や基地と無関係」と主張するのは弁護士得意の三百代言(さんびゃくだいげん)、と言って弁護人側が気を悪くするなら、詭弁(きべん)もいいところである。
 シンザト被告が、那覇市に隣接する与那原町に住む日本女性と結婚したのは、海兵隊を除隊する直前の2013年だった。
 妻は介護関係の仕事をしており、シンザト被告とはインターネットを通じて知り合った。結婚式はニューヨークであげたが、妻は英語になじめず、すぐ沖縄に戻った。この結婚で旧姓ガドソンから妻の姓のシンザトに変わった。
 事件発覚から間もなく、与那原町の自宅を訪ねてみた。当時の報道などによると、ここは元々妻の両親が建てた家だったが、事件発生2か月前の2016年2月、男児が生まれたため、公務員の両親は自宅をリフォームして娘夫婦に住まわせたという。
 屋根を水色に塗ったこざっぱりした家は予想していた通り無人だった。だが、庭はきちんと片付いておりつましい生活ぶりがうかがえた。
 庭には400ccの黒いバイクが放置されていた。ふだんシンザトが乗っていたバイクだと推察された。
 新聞報道などによれば、シンザトは生まれたばかりの赤ん坊を乳母車に乗せてあやしながら、よく歩いていたという。その姿は、近所の人には子煩悩な父親にしか見えなかっただろう。
 この家にうるま警察署員が家宅捜査のために踏み込み、シンザトが任意同行を求められたのは2016年5月19日のことだった。
 家宅捜査ではサドやマゾ、ホラー系のビデオが大量に発見されて押収された。同日の16時過ぎ、シンザトは死体遺棄容疑で逮捕された。
 最初の事情聴取があったのは、その3日前の5月16日だった。このときシンザトは憔悴しきって震えっぱなしだったという。
 その翌日の5月17日、シンザトは多量の睡眠剤を飲んで病院に担ぎ込まれた。5月18日にも睡眠剤を過剰摂取し、緊急搬送された。
 本人がふだんから乗っていたYナンバーの米軍関係車両を調べると、島袋里奈さんのDNAが検出され、捜査員が問い詰めると「散歩中の女性を棒で殴って強姦し、遺体は山の中に捨てた」と正直に自供した。
 そして、素直に捜査員を遺棄現場に案内した。その現場で供述通り被害者女性の遺体が発見されたため、死体遺棄容疑で緊急逮捕となった。その後の取り調べにより、強姦致死、殺人容疑で再逮捕された。
 逮捕翌年の1月、恩納村に実家がある妻はシンザト被告と離婚した。男児はまだ1歳にもなっていなかった。



 
〈プロフィール〉
佐野眞一(さの・しんいち)
ノンフィクション作家。1947年、東京生まれ。97年『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2009年『甘粕正彦 乱心の曠野』で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に、『巨怪伝』『東電OL殺人事件』『だれが「本」を殺すのか』『沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史』『沖縄戦いまだ終わらず』など多数。
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