連載
「沖縄はどう生きるか
①うるま市女性暴行殺人事件傍聴記 佐野眞一 Shinichi Sano

「私の一番大事な愛しい一人娘を失って一年余りが過ぎました。今だに心の整理がつかず写真や笑顔を想い出すたび涙があふれ、やるせない気持ちです。
 娘の笑顔がすべてでした。母の喜びでした。楽しい人生が送れるようにと願ってました。その願いも叶いません。人間の心を持たない殺人者の手で想像しがたい恐怖におびえ、痛み、苦しみの中でこの世を去りました。悔やみます。悔しいです。悲しすぎます。
 無念で胸が張り裂ける思いです。私はこれから先、怒り、憎しみ、苦しみ、悲しみをずっと胸に何の生きがいもなく、楽しみもなく、悲しみだけで、ただ、ただ生きて行くだけです。
 毎日、安らかに眠るようにと仏前に祈ることしか出来ません。娘は二十年しか生きる事が出来ませんでした。娘の命を奪った殺人者は、生かしておくべきではありません。地獄であえぎ苦しみつづける事を心から願います。
 私の心は地獄の中で生きています」
「地獄の中で生きる」。これ以上ない激しい悲しみの吐露だと思った。
 シンザトは里奈さんだけでなく、両親の命も奪った。父母の供述にはそう思わせるだけの悲しみの力があった。
 女性弁護士が代読を終えると、母親は彼女に震える肩を抱かれながら傍聴席に戻った。母親の陳述書を聞いている傍聴人の中には、目を真っ赤に泣き腫らした女性もいた。
 両親の意見陳述が終了したあと、検察側から被告に「最後に被告から被害者遺族や被害者に何か言っておきたいことはありませんか」という質問があった。
 この質問に対しても、被告は相変わらず「黙秘権を行使します」と言うだけだった。その瞬間、母親はハンカチで顔を覆い、法廷内の誰にも聞こえるような声ですすり泣いた。

 第二回公判の翌々日の11月19日、海兵隊所属の米兵が飲酒運転で61歳の男性を死亡させるという事故を起こし那覇署に逮捕された。
 在沖米軍は事態を重く見てすぐに外出禁止令を出した。だが米軍属による凶悪犯罪の裁判中だっただけに、沖縄県民の怒りはピークに達した。
 女性は米兵や軍属によっていつ強姦されるかわからず、男性は米兵の運転する車でいつ命を奪われるかわからない。
 さらに空からはいつ米軍ヘリが墜ちてくるかわからない。これでは沖縄県民は男も女も子どもも、恐ろしくておちおち道も歩けない。これが沖縄県民が日々直面する偽りのない現実である。
 ところが自民党の都議会議員から国会議員になり、内閣府副大臣まで出世した松本文明という男は、相次ぐ米軍機事故問題が国会で取り上げられた際、「それで何人死んだんだ」と沖縄県民を激怒させる野次を飛ばした。
 このとんでもない暴言で、せっかく手に入れた副大臣ポストを失わざるを得なかった。辞職は当然のことだろう。
 この男は日本復帰前の1959年6月、石川市(現・うるま市)の宮森小学校に米軍機が墜落し、死者17人(うち11人は小学生)、重軽傷者210人を出した大惨事を知った上で、こんな発言をしたのだろうか。
 もし知っていたとすればこの上なく傲慢(ごうまん)な発言だし、知らなければ沖縄に関してあまりにも無知である。



 
〈プロフィール〉
佐野眞一(さの・しんいち)
ノンフィクション作家。1947年、東京生まれ。97年『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2009年『甘粕正彦 乱心の曠野』で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に、『巨怪伝』『東電OL殺人事件』『だれが「本」を殺すのか』『沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史』『沖縄戦いまだ終わらず』など多数。
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④沖縄県人に活を入れる“琉球一の男”徳田球一、波瀾万丈の人生
③誰にも知られたくなかった沖縄の戦前の謎と戦後の闇
②元海兵隊員も反対の座り込みに参加する辺野古埋め立てと高江のヘリパッド基地
①うるま市女性暴行殺人事件傍聴記