連載
沖縄はどう生きるか
②元海兵隊員も反対の座り込みに参加する辺野古埋め立てと高江のヘリパッド基地 佐野眞一 Shinichi Sano

 仲井眞の二枚舌的性格は、大田昌秀(おおたまさひで)知事時代の副知事だった吉元政矩も認めている。
 仲井眞はホンネを他人には容易に見せない男である。吉元が仲井眞の陰険な本性を知るのは、大田の前の西銘順治(にしめじゅんじ)知事時代だった。当時、吉元は西銘政権下で沖縄官公庁労働組合書記長、沖縄県職員労組副委員長などを歴任していた。
「仲井眞は通産省時代、東京の色々な人を通して西銘さんに近づき、沖縄県副知事に使ってくれとアクションを起こすんです。ところが、西銘さんは仲井眞を使わなかった。そのかわりに県庁が資本金の51%を出して沖縄電力をつくるから仲井眞を理事にしてやれ、と言った。つまり西銘さんが仲井眞を救ったわけです。それでも仲井眞は西銘さんにお礼の電話一本もしてこなかった。仲井眞のそういう人間的狡(ずる)さを一番見抜いていたのが、西銘さんでした」
 吉元の批判は仲井眞の個人攻撃には聞こえなかった。逆に非常にフェアな人物評価だと思った。
 日本最西端の与那国島(よなぐにじま)で生まれ、八重山(やえやま)高校卒業後、石垣測候所に勤めた吉元は、生粋のウチナンチュウである。
 そうした叩き上げの経歴を持っている吉元だけに、東大卒業後、通産省に入り本土の官僚の間を上手に遊泳し現在の地位を築き上げた仲井眞のふるまいは許せなかったのだろう。
 曲がりくねった路地の奥の崖の上にある吉元の自宅を探し当てて会った。それは、私の積年の宿題だった。
 私が信頼する沖縄のジャーナリストたちは異口同音に「もし沖縄の戦後政治の裏面史を知りたければ、吉元に取材することが絶対に欠かせない」と言った。
 隠れ家風の家に住んでいるところから、最初、吉元は剣呑な性格の男かと思った。
 だが、それは完全にこちらの思い違いだった。吉元は突然の訪問にもかかわらず、快く家に招き入れてくれた。
 それ以上に感じ入ったのは、実務家らしい吉元の自信にあふれた人物評だった。地方の役人には時折こういう信頼できる人物がいる。
 吉元は仲井眞だけでなく、副知事として仕えた大田昌秀についての評価も呵責(かしゃく)なかった。
 大田について聞くと、吉元は「大田さんは沖縄問題で時の総理の橋本龍太郎(はしもとりゅうたろう)に17回会ったが、僕はただの一回も同席させなかった」と言った。
 吉元は大田の側近中の側近だった男である。その男を大田は総理との会談では一度も同席させなかったと言う。
 こういう歴史的秘話を他ならぬ吉元から聞くとは想像すらしなかった。沖縄の政治問題は一筋縄ではいかない。常に二番底、三番底がある。
 ――そういう態度が大田さんの自負心というものだったのでしょうが、大田さんの限界はそうした秘密主義にあったとは思いませんか。
「あなたの方からそう言われたので言いやすくなったけど、彼は元々学者です。沖縄の過去と現在については誰にも負けない博識の持ち主でした。でも、将来を見通す目はまったくなかった」
 ――その大田さんが評判の悪い仲井眞を副知事にしたのは、どうしてですか。
「私は猛烈に反対したんです。やめろ、あの男を使ったらいかんと。あの男は沖縄生まれだが、ウチナーンチュじゃない。すると大田さんは、『イヤ、使うんだ』と言ってきかなかった。僕が何であんな男を使うのかと聞くと、『自分は本土の各省庁の役人のことがわからん、だから予算要求もできない。それが不安なんだ』と言うんです」
 吉元がこのとき感じた懸念は、残念ながら的中してしまった。



 
〈プロフィール〉
佐野眞一(さの・しんいち)
ノンフィクション作家。1947年、東京生まれ。97年『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2009年『甘粕正彦 乱心の曠野』で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に、『巨怪伝』『東電OL殺人事件』『だれが「本」を殺すのか』『沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史』『沖縄戦いまだ終わらず』など多数。
Back number
④沖縄県人に活を入れる“琉球一の男”徳田球一、波瀾万丈の人生
③誰にも知られたくなかった沖縄の戦前の謎と戦後の闇
②元海兵隊員も反対の座り込みに参加する辺野古埋め立てと高江のヘリパッド基地
①うるま市女性暴行殺人事件傍聴記