連載
沖縄はどう生きるか
②元海兵隊員も反対の座り込みに参加する辺野古埋め立てと高江のヘリパッド基地 佐野眞一 Shinichi Sano

「日本維新の会の下地幹郎(しもじみきお)衆議院議員を対立候補に推す声もあるようですが、下地さんが出れば、過去の経緯から公明党は引きます。僕はもしかしたら仲井眞さんがもう1回出るんじゃないかと思っています。本人もすごく元気で話の持っていきようによってはうまくいくかもしれませんよ」
 評判の悪い仲井眞の肩を持っているような発言にも聞こえるが、又吉にそうした意図があるわけではない。
 ただ、名護市長選の敗北で翁長雄志を支持してきたオール沖縄会議の風向きが変わったことは確かである。
 沖縄県内でホテルなどを経営する「かりゆしグループ」(会長は一般財団法人・沖縄観光コンベンションビューローの平良朝敬〈たいらちょうけい〉)は、翁長を支持してきた。
 だが、かりゆしグループ傘下のホテルなどを経営する当山智士社長は4月3日、那覇市内で行われた記者会見で「政党色が強くなりすぎた」と、翁長と一定の距離を置くことを表明した。
 また沖縄県内でスーパーなどを展開する金秀(かねひで)グループの呉屋守将(ごやもりまさ)会長も翁長の革新色が強まっていることに不満を持ち、名護市長選敗北の引責という形で、オール沖縄会議の共同代表をすでに辞任、脱会している。
 悪いことは続くもので、弱り目に祟(たた)り目で、翁長は4月の検査入院で膵臓(すいぞう)に腫瘍が見つかり体調が万全ではないことが明らかになった。
 それはともかく、もし仲井眞対翁長の第二ラウンドが実現すれば、辺野古埋め立て絶対反対の「過激派」と、辺野古の埋め立てを容認して政府から莫大な沖縄振興予算を分捕った「いい正月派」の対決というものすごい構図になる。
 しかも、翁長はかつて仲井眞の腹心中の腹心だった男なのだから、沖縄の政界は本当に一寸先は真っ暗闇の世界である。

故大田昌秀元知事の県民葬で感じたこと

 沖縄の選挙事情について書いているうち、昨年7月26日、宜野湾(ぎのわん)市の沖縄コンベンションセンターで開かれた故大田昌秀元沖縄県知事の県民葬のことを思い出した。
 大田はその年の6月12日、奇しくも92歳の誕生日に鬼籍に入った。
 大田の県民葬が行われたのは、真夏の太陽がさんさんと降り注ぐむし暑い日だった。そんな陽気だったにもかかわらず、大田の人柄を偲んで2000人もの関係者が参列した。
 この葬儀には、内閣総理大臣の安倍晋三(しんぞう)も沖縄県知事の翁長雄志も涼しげな沖縄の「かりゆし」の喪服姿で列席し、追悼の辞を述べた。
 予想していたことだが、二人の挨拶とも紋切型で何の感動もなかった。東京から持ってきてホテルのトイレで着替えた厚手の喪服がなお暑苦しく感じられた。
 大田には激しい毀誉褒貶(きよほうへん)があった。しかし、戦後の沖縄県知事の中では絶対に忘れてはならない男だった。
 大田は興奮すると鼻血を噴出する。沖縄のベテラン新聞記者たちの間では有名な話である。私が大田に興味を持ったのは、そんな熱血漢の血はどこから生まれたのかと思ったのがきっかけだった。
 大田の生まれた久米島(くめじま)で、大田の幼い頃を知る老人からこんな興味深い話を聞いたことがある。
「大田さんは子供の頃、ハブに噛(か)まれたことがあるんです。この島では噛まれたハブをそのまま生かしておくと、噛まれた人間は死ぬという言い伝えがあります。そこで大田さんは噛まれて毒が身体中に回っているというのに、田んぼの中に逃げたハブを追いかけ回して、カマで殺した。ところが、家に帰ってくる頃には噛まれた足がパンパンに腫(は)れあがって、帰宅したときは、腹這い状態だった。それを見た僕の親父が大田さんの噛まれた傷口に口をあて、ハブの毒をちゅうちゅう吸い出してやった。それで大田さんは助かったけど、親父はそれ以来虫歯だらけになっちゃった(笑)」
 大田の気の強さと運の強さを物語るエピソードである。



 
〈プロフィール〉
佐野眞一(さの・しんいち)
ノンフィクション作家。1947年、東京生まれ。97年『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2009年『甘粕正彦 乱心の曠野』で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に、『巨怪伝』『東電OL殺人事件』『だれが「本」を殺すのか』『沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史』『沖縄戦いまだ終わらず』など多数。
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④沖縄県人に活を入れる“琉球一の男”徳田球一、波瀾万丈の人生
③誰にも知られたくなかった沖縄の戦前の謎と戦後の闇
②元海兵隊員も反対の座り込みに参加する辺野古埋め立てと高江のヘリパッド基地
①うるま市女性暴行殺人事件傍聴記