連載
「沖縄はどう生きるか
②元海兵隊員も反対の座り込みに参加する辺野古埋め立てと高江のヘリパッド基地 佐野眞一 Shinichi Sano

 平昌(ピョンチャン)オリンピック閉幕直後の2018年3月8日、米朝首脳会談というショッキングなニュースが電撃的に発表され、世界中に衝撃を与えた。
 過去のアメリカ大統領だったら、ここまで思い切った「賭け」は絶対にできなかっただろう。その意味でトランプは、寸秒たりとも目が離せない大統領となっている。
 山城博治はトランプが大統領になっても沖縄の状況はまったく変わらないと言い切った。だが、トランプが米朝首脳会談という世界史的決断をした今となっては、そう決めつけていいかどうかは大いに疑問が残る。
 ここで簡単に山城の経歴を述べておこう。
 山城は1952年、沖縄本島中部の具志川(ぐしかわ)市(現・うるま市)に生まれた。反骨の魂は県立前原高校2年のとき芽生えた。
 山城が最初に疑問を持ったのは、日の丸の旗を掲げて行進する本土復帰運動だった。復帰に幻想を持ってはいけないという復帰批判論に同調して、佐藤首相の訪米反対で1週間のハンガーストライキをした。3年生のときに、基地付きの本土復帰に反対して、校舎の一部をバリケード封鎖した。その結果、山城は高校を除籍となった。
 その翌年、前原高校で2歳年下だった新入生の女子生徒が、下校途中にサトウキビ畑で米兵に襲われ、メッタ刺しにされる重傷を負った。山城はこれに抗議してアメリカ軍の基地までデモに行った。
 その年に上京し、新聞配達のかたわら、大学入学資格検定を目指した。大学は法政大学に進み、卒業後、沖縄県職員になった。県庁職員時代は工事現場などから発見される不発弾の処理にもっぱらあたった。
 沖縄が本土復帰したときは19歳だった。復帰運動には関わったが、実現した復帰で基地が残ったことに裏切られた思いがした。
 ――そして辺野古の埋め立てと高江のヘリパッド基地建設に反対して逮捕ですか。なかなか波瀾に富んだ熱血の人生ですね。ところで、なぜ県庁を辞めたんですか?
「私が沖縄県庁に入ったときの知事は西銘順治さんでした。その西銘さんが天皇を沖縄に呼んで沖縄の戦後を終わらせたい、と言ったときには、衝撃を受けました。県庁を辞めたのは、この発言が引き金になっていますね」
 ――もう少し具体的に説明してください。
「だって、沖縄をこんなに苦しめたのは昭和天皇でしょ? その人が来たら沖縄の戦後が終わるってどういうことなんだ、という思いがあったんです。とてもじゃないけど、この男の許(もと)では仕事ができないと」
 山城の反天皇の思いには、父親の戦場体験が色濃く反映している。
「私の父親は沖縄の南部の戦場を彷徨(ほうこう)して、九死に一生を得たんです。敵の鉄砲の弾を身体中に浴びて動けなかったという話です。三日三晩戦場に倒れて、草をかじりながら生き延びたそうです」
 ――鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)ですか?
「兵士じゃなくて、防衛隊です。17歳で防衛召集された。アメリカ軍に捕まって助かったと言っていました。ハワイの捕虜収容所に送られ、米兵たちが曲がらなくなった足を伸ばして、ギプスで固定してくれたから、少し足は引くけど、どうにか歩けるようになったと言っていました」
 沖縄戦で捕まった兵士たちのうち約3000人はハワイの捕虜収容所に送られたという。このハワイの捕虜収容所に送られた人々のその後の数奇な人生については、本連載の後半で述べるつもりである。



 
〈プロフィール〉
佐野眞一(さの・しんいち)
ノンフィクション作家。1947年、東京生まれ。97年『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2009年『甘粕正彦 乱心の曠野』で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に、『巨怪伝』『東電OL殺人事件』『だれが「本」を殺すのか』『沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史』『沖縄戦いまだ終わらず』など多数。
Back number
④沖縄県人に活を入れる“琉球一の男”徳田球一、波瀾万丈の人生
③誰にも知られたくなかった沖縄の戦前の謎と戦後の闇
②元海兵隊員も反対の座り込みに参加する辺野古埋め立てと高江のヘリパッド基地
①うるま市女性暴行殺人事件傍聴記