連載
「沖縄はどう生きるか
③誰にも知られたくなかった沖縄の戦前の謎と戦後の闇 佐野眞一 Shinichi Sano

 しかしながら、杣山開墾の手続きに賄賂が使われるなどの不祥事は後を絶たなかった。このため、謝花はこうした不当な開墾願いに対し、ことごとく不許可にする行動に出た。
 ところが知事の奈良原は謝花の願いを斥(しりぞ)け、杣山開墾を着々と進めていった。
 実際に開墾願いを出した人々を調べてみると、謝花が許可を出す方針を立てた貧乏士族はほとんどいなかった。
 それどころか、琉球王族の尚家(しょうけ)の一族や、他府県から来た富裕な商人、他人の名義を使った県の上級役人もいた。
 こうした話は、投資目的で沖縄の「軍用地主」になり、土地の値上がりの利回りで「濡れ手に粟」で稼ぐ本土の欲の皮の突っ張った連中を想起させる。いつの時代も人間の考えることはそう変わらない。
 知事の奈良原にとって、謝花が杣山開墾に反対の狼煙(のろし)をあげたことは願ってもない口実となった。
 旧特権階級や富裕層が謝花に不満を持っているのをいいことに、明治27(1894)年9月、奈良原は、開墾主任の謝花を解任する暴挙に出た。
 その翌年の明治28(1895)年以降の3年間で、杣山開墾はぞくぞく許可された。
 奈良原はなぜ、旧支配層が喜ぶ政策に打って出たのか。その根本にあったのは「旧慣温存」という考えだった。
「沖縄学の父」といわれた井波普猷(いはふゆう)を継承する沖縄学者で、今の天皇・皇后に琉歌を手ほどきしたことでも知られる外間守善(ほかましゅぜん)は、『沖縄の歴史と文化』(中公新書)で、注目すべき見解を披歴している。
 外間はそこで「(旧慣温存政策が沖縄で長く続けられたのは)本土でいち早く実施された地租改正が、沖縄では明治三十年代ようやく実施されたことをみてもわかる」と述べた上で、こう続けている。

〈明治政府の眼は、旧琉球王府の支配層の動向に注がれ、その慰撫に努めていたので、「急激な改革は人心を動揺させ、社会不安を招く」ことを理由に、王国時代の諸制度が明治三十年代までそのまま据え置かれた。その結果、被支配者は、当分、王国時代とあまり変わらない重い負担にあえぐことになった〉

 奈良原の目は苦しみにあえぐ「沖縄」の民衆ではなく、常に「日本」の支配層に向けられていた。奈良原は「日本」から特別権限を与えられた「琉球王」だった。
 こうした構図は、辺野古などの基地建設で反対派の声を無視し、沖縄のゼネコンが喜ぶ政策を続けてきた沖縄の現在の保守政治家のふるまいとそっくりである。
 杣山開発の認可は、開墾主任の謝花が解任された1894年前後のものも含めると、驚くべき数になった。
 この間に開墾を許可された土地は、他府県の商売目的の連中からの申請が実に40%にものぼった。



 
〈プロフィール〉
佐野眞一(さの・しんいち)
ノンフィクション作家。1947年、東京生まれ。97年『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2009年『甘粕正彦 乱心の曠野』で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に、『巨怪伝』『東電OL殺人事件』『だれが「本」を殺すのか』『沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史』『沖縄戦いまだ終わらず』など多数。
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