連載
沖縄はどう生きるか
④沖縄県人に活を入れる“琉球一の男”徳田球一、波瀾万丈の人生 佐野眞一 Shinichi Sano

 徳田球一と宮城与徳。沖縄が生んだ二人の「反逆者」の人生は、現在の沖縄からは到底考えられない壮絶なものだった。それについてはあとでじっくり述べるとして、渡部と中田から出た“こぼれ話”から紹介しよう。
 中田「徳田球一は1911(大正元)年に第七高等学校(現・鹿児島大学)に入学しています。鹿児島で七高といったら神様です。そのとき、鹿児島市の目抜き通りの“天文館”で『琉球人徳田球一』って大書した紙を持って歩いたっていう伝説がある。琉球人というのは鹿児島の言葉で言うと、“ジキジン”と言います。“ジキジン”の“ジキ”というのは、徳田の性格から言って“事件人”の誤りじゃないかと思ったりもする」
 ――たしかに事件人のほうがぴったりきます。
 詳しくは後述するが、徳田の祖父は裕福な鹿児島の商人、祖母と母は沖縄出身の尾類(ジュリ)だった。尾類とは、遊女のことを言う。
 鹿児島県人と琉球人の言うに言われぬ複雑な関係については、前回の連載で鹿児島県出身の奈良原繁(ならはらしげる)沖縄県知事と、沖縄自由民権運動の父と呼ばれる謝花昇(じゃはなのぼる)の項で詳しく述べた。
 徳田球一は父方の鹿児島県人の強烈なプライドと、遊女をルーツとする母方の劣等意識に挟みうちされた自己意識の持ち主だった。
 この分裂した意識が徳田を終生苦しめた。と同時に、徳田を世界に飛び出させる強力なジャンピングボードにもなった。
 徳田は鹿児島では自分より3歳も若い叔母の家に下宿した。この叔母の家は鹿児島の豪商で、叔母は家では女王のようにふるまった。
 杉森久英は評伝『徳田球一』(文藝春秋新社)の中で、驚くべきエピソードを紹介している。
〈ある日彼(筆者注・徳田)が風呂から上ると、その次に入ろうとした若い叔母が、
「琉球人(じきじん)の入ったあとは汚い」
 といって、彼の見ている前で、湯を全部捨てて、新しくわかして入った〉
 渡部「その家は徳田の本家なんですよ。ところが、徳田は風呂まで差別されて頭にくるわけだ。だから徳田は七高を辞めて名護に帰っちゃうんだ」
 ――徳田は品行不良により七高を放校されたという伝説がありますが、自分から辞めたんですか。
 渡部「そう。それで故郷の名護に帰って国頭郡(くにがみぐん)役所の書記になる」
 ――中学は沖縄県立第一中学校(現・首里高校)ですね。頭は悪くなかった。
 渡部「中学時代、中江兆民(なかえちょうみん)の『一年有半』を読んだくらいだから、早熟だったことは確かです。中学時代笠をかぶって人力車を引くアルバイトをやるんだが、気に食わない教師が乗ると首里の坂の上に行ってひっくり返しちゃう(笑)」
 中江兆民は「東洋のルソー」と呼ばれた思想家で、代表作の『一年有半』は兆民が喉頭(こうとう)がんに冒され、余命一年半を宣告されたあとに書いた辛辣(しんらつ)な評論集である。
 その兆民が“末期の眼”で見た世界を、旧制中学3年生で読んだというのだから、徳田球一は世評の野卑な男という評判とは違って、相当に早熟で感受性に富んだ一面を持つ少年だったことは確かなようである。



 
〈プロフィール〉
佐野眞一(さの・しんいち)
ノンフィクション作家。1947年、東京生まれ。97年『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2009年『甘粕正彦 乱心の曠野』で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に、『巨怪伝』『東電OL殺人事件』『だれが「本」を殺すのか』『沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史』『沖縄戦いまだ終わらず』など多数。
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④沖縄県人に活を入れる“琉球一の男”徳田球一、波瀾万丈の人生
③誰にも知られたくなかった沖縄の戦前の謎と戦後の闇
②元海兵隊員も反対の座り込みに参加する辺野古埋め立てと高江のヘリパッド基地
①うるま市女性暴行殺人事件傍聴記