連載
沖縄はどう生きるか
④沖縄県人に活を入れる“琉球一の男”徳田球一、波瀾万丈の人生 佐野眞一 Shinichi Sano

 宮城与徳がゾルゲ事件で逮捕される直前、甥に語った言葉
 名護博物館に集まってもらった関係者の中に、与徳の甥の屋部高志がいた。私が名護博物館に行ったのは2016年6月の蒸し暑い日だった。屋部の証言は、その暑さを忘れさせるほど衝撃的だった。
 名護市の広報誌「市民のひろば」(2006年2月号)に、「名護の顔」として当時83歳だった屋部高志のプロフィールが紹介されている。
 この年齢からいくと、私が会ったとき屋部は93歳だった。だが屋部はその年齢とはとても思えないほど矍鑠(かくしゃく)としていて記憶力は驚異的だった。
 屋部の紹介記事はよくまとまっているので、一部引用しよう。
〈屋部高志さん(83)の青年時代は軍国化に邁進する日本の暗い時代だった。県立一中を卒業後、東京の陸軍学校で設計を学んだ。東京での一番の思い出は、画家で叔父の宮城與徳が、「君たちの新しい時代がくる」と話し、沖縄から来た若い屋部さんを気にかけてくれたことが印象に残っている〉
 ――宮城与徳の姻戚関係というと、アメリカ在住の姪の徳山照子さんぐらいしか思いつきませんでした。まさか名護で宮城与徳の甥御さんにお会いするとは思ってもみなかった。
 屋部「徳山照子はロサンゼルスに住んでいます。私より3つくらい下かな。90になったくらいでしょ」
 徳山照子は宮城与徳生誕100年記念の式典が行われた2006年冬にも名護に来たという。
 屋部「そのときは元気でしたが、照ちゃんはゾルゲ事件が発覚したとき、取り調べの特務曹長にきつく責められて、確か一時気が変になったはずです」
 ガジュマルの大木が繁る公園近くの南国ムード漂う博物館の一室で、まさか「気が変になる」という言葉が出てくるとはまったく思わなかった。
 宮城与徳が特高警察によって逮捕されたのは、1941(昭和16)年10月だった。逮捕されたのは、防衛庁があったあたりで、歩兵第一連隊前の麻布龍土町の下宿先だった。歩兵第一連隊は1936年の2・26事件で叛乱軍の主力を出した連隊である。
――宮城与徳と屋部さんの関係をあらためて教えてください。
 屋部「与徳とうちの母がいとこ同士なんです」
――与徳に会ったことはありますか。
 屋部「ええ、あります。龍土町の下宿先には私も1年近くおったんです。学校(陸軍士官学校)へ行くときは歩兵第一連隊の前を通って行くわけです。そして腹が減ったときは昼食を食べにその下宿に帰ってきたりして」
――屋部さんは1922年生まれですから、沖縄戦は体験しているんじゃないですか。
 屋部「いや、私が配属されたのは満州でしたから、沖縄戦は経験していません」
――そうですか、関東軍だったんですか。満州は主にどこでしたか。
 屋部「ハルビンです。後は移動、移動で、シベリアには3年半おりました」
 前掲の名護市の広報誌の「市民のひろば」に掲載された屋部の紹介記事に感動的な個所がある。
〈屋部さんは、高射砲隊として満州へ派遣された。戦時中満州のハルビンで見た新聞に叔父の宮城与徳が「国賊」と書かれていた。昭和16年10月、與徳は治安維持法違反の容疑(日本の対ソ戦略に関する機密情報収集)で逮捕されたのである。いわゆる「ゾルゲ事件」である。



 
〈プロフィール〉
佐野眞一(さの・しんいち)
ノンフィクション作家。1947年、東京生まれ。97年『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2009年『甘粕正彦 乱心の曠野』で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に、『巨怪伝』『東電OL殺人事件』『だれが「本」を殺すのか』『沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史』『沖縄戦いまだ終わらず』など多数。
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④沖縄県人に活を入れる“琉球一の男”徳田球一、波瀾万丈の人生
③誰にも知られたくなかった沖縄の戦前の謎と戦後の闇
②元海兵隊員も反対の座り込みに参加する辺野古埋め立てと高江のヘリパッド基地
①うるま市女性暴行殺人事件傍聴記