連載
「沖縄はどう生きるか
④沖縄県人に活を入れる“琉球一の男”徳田球一、波瀾万丈の人生 佐野眞一 Shinichi Sano

 ウンゲルン軍とは、白衛軍のロマン・ウンゲルンに指揮された部隊でモンゴル軍と赤軍連合に敗れ、捕らわれたウンゲルン将軍は銃殺刑に処せられた。
 徳田ら一行はやがてゴビの砂漠の入り口にたどり着いた。
 砂漠といってもなだらかな高原なので、ここから先の旅はトロイカに別れを告げ、自動車に乗った。
 自動車とラクダの隊商との競争が毎日のようにつづき、やがて内蒙古の街道筋にある宿屋にたどり着いた。ここで出された野菜料理に徳田は故郷の沖縄を思い出している。
〈私は生れ故郷の沖繩の田舎を思い出した。この菜つぱは、沖繩のつけ菜と全くおなじだ。料理のこさえ方も沖繩の田舎そつくりだつた。どうしてこんなによく似てるのだろう。おそらくここらあたりは沖繩の田舎と同じ程度の進化過程にあるのだろうと思つた。そのうちに主人は焼ちゆうを持ち出して來た。
「や、これも沖繩だ」と私は思はず聲に出したものである。この中國の焼ちゆうが、これまた沖繩のあわ盛りと少しも變らなかつたではないか〉
 また旅先ではよく羊の肉を出された。
 徳田は『わが思い出』のなかで「私は琉球の生まれなので山羊の肉を長い間食べてきたので、羊の肉も好物だつたが、同行の日本人はこれを嫌つたため、羊の肉とお別れするほかなかつた」と未練がましく書いている。
 ゴビ砂漠からやっと抜け出したときは、安心のあまり一行はそれまで我慢していた酒を飲んだ。
 この件に関して徳田自身は何も語っていない。だが徳田と同行した渡辺春男の『思い出の革命家たち』(前掲)のなかに動かぬ証拠がある。
〈酒にかけては目のない徳田は、ひとりでグイグイ呑んで、しだいにメートルをあげだした。入露以来、若いコンミュニストばかりの世界で、この日まで好きな酒を呑む機会がなかったものだから、久しぶりに呑んだ酒の酔いのまわりかたはひどかった。しまいには、あたりかまわず大声を出して、何やらどなりはじめた。(中略)
 私はびっくりしておしとめたが、もうへべれけになって呂律もまわらなくなった彼は、すっかり前後のみさかいをうしない、とめるとかえって余計に蛮声をはりあげて、どなりたてるのだった。これにはホトホト手を焼いたが、この上は酔いつぶすにしかずと、かえって残っている酒を、つぎつぎに呑ませにかかった。さしては呑ませ、呑ましてはさしているうち、とうとうさすがの彼も酔いつぶれて、おとなしく寝入ってしまった〉
 一行がようやく蒙古と中国国境の張家口(ちょうかこう)に着いたときは、体全体がほこりまみれになり、泥人形のようになっていた。
 張家口から汽車に乗り、万里の長城を窓外に眺めながら北京に到着した。そこからは官憲の目をあざむくため、念には念を入れ大連(だいれん)経由と青島(チンタオ)経由の二手に分かれた。
 徳田が日本に帰り着いたのは1922年3月下旬だった。
 徳田がモスクワに向け出発したのが、前年1921年の10月上旬だったから、帰国までおよそ半年間の大旅行だった。
 しかし、このゴビ砂漠横断の大旅行は徳田の波瀾万丈の生涯に比べればまだまだ序章にすぎなかった。



 
〈プロフィール〉
佐野眞一(さの・しんいち)
ノンフィクション作家。1947年、東京生まれ。97年『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2009年『甘粕正彦 乱心の曠野』で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に、『巨怪伝』『東電OL殺人事件』『だれが「本」を殺すのか』『沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史』『沖縄戦いまだ終わらず』など多数。
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④沖縄県人に活を入れる“琉球一の男”徳田球一、波瀾万丈の人生
③誰にも知られたくなかった沖縄の戦前の謎と戦後の闇
②元海兵隊員も反対の座り込みに参加する辺野古埋め立てと高江のヘリパッド基地
①うるま市女性暴行殺人事件傍聴記