連載
ぼくらの遍路は
関口 尚 Hisashi Sekiguchi
「おお、相楽君、久しぶり!」
 玲を見つけた原田が満面の笑みで部屋に入ってきた。玲は反応に困って目を見張った。原田を必死に観察しようとしたのだ。その原田と名乗る青年も、玲の様子がおかしいことに気づいたようだった。
「あれ? おれだよ。同じ小学校だった原田和人だよ」
「原田……」
「おいおい、マジかよ。二学年上だった原田だってば。いっしょにミニバスに入ってたじゃん」
「ミニバス?」
「善通寺市のミニバスケットボールクラブだよ。県の新人大会で優勝したときはうれしかったよな。坂出(さかいで)の私立体育館から帰るとき、おまえがはしゃぎすぎて電車に乗り遅れてホームでぽつんとひとり残されちゃってさ!」
 楽しげに原田が思い出を語る。でも、玲にはなんのことなのか、とんとわからない。
 いつかこんなときがくるんじゃないかと思っていた。四国へやってきたのだ。こうしたことが起こる可能性は格段に上がっていたはずだ。
 玲が戸惑っていると、「おいおい、どういうことなのかな」と横から野次が入った。窓際で胡坐をかいていた剣也(けんや)だ。愛媛からの参加者で玲と同じく大学の三年生。ただ、二浪していると自己紹介で言っていた。年上なんだぞ、とアピールするかのような言い方で。
「あの、どういうことっていうのは」
 尋ねると剣也はにやにやしながら言う。
「だっておまえはよ、自己紹介で東京生まれ東京育ちって言ったよな。でも、香川から来たこの原田ってのは、おまえの小さいころを知っている。つまり、嘘をついてたってわけじゃねえか」
「嘘をつこうと思ったわけじゃ」
「別にかまわねえんじゃねえの。ばか正直に正体を明かさなくてもいいんだもんな、今回のお遍路プロジェクトは。そういう規約があるんだからよ。なあ、コーディネーターさん」
 剣也は嫌味たっぷりに言って木戸を見た。木戸が困惑しつつ頷く。
「そうだね、問題はないね」
 お遍路プロジェクトには特別な約束事が導入されていた。希望すれば匿名で参加できるというものだ。
 実名やプロフィールはプロジェクトの運営委員会にきちんと伝えておく。あとはペンネームやハンドルネームのような匿名を名乗ってかまわない。プロフィールも自分が明かしたいものだけ明かせばいい。玲が所属する七班にはいなかったが、ほかの班には「山田ドラゴン」とか「猫たかし」などいかにも匿名という名前で参加している者がいた。
 本来、お遍路はひとりで歩くもの。集団で移動するお遍路プロジェクトはその本質に反してしまっている。だから、匿名性を導入して自由度を上げ、肩書きやしがらみから離れ、一個人としてお遍路に臨めるようにしたのだとか。
 また、現代のお遍路はトレッキングやウォーキングなど健康志向の延長で歩いてみたい人が多いという。バスでのお遍路は団体旅行のように楽しいそうだ。これらはお遍路の観光化がもたらした。しかし、本来のお遍路はもっと切実な動機で歩かれていた。たとえば不治の病の治癒を祈ってとか、近親者の供養のためとか。そうした本来の動機でお遍路プロジェクトに参加する学生のために、匿名性を持ちこんだのだそうだ。本当のことを隠しやすいように。


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〈プロフィール〉
関口 尚(せきぐち・ひさし)
1972年、栃木県生まれ。99年、茨城大学大学院人文科学研究科を修了。
2002年、『プリズムの夏』で第15回小説すばる新人賞を受賞して、作家デビューする。2007年、『空をつかむまで』で第22回坪田譲治文学賞を受賞。
著書に、『君に舞い降りる白』『パコと魔法の絵本』『はとの神様』などがある。
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