連載
ぼくらの遍路は
関口 尚 Hisashi Sekiguchi
「どんなふうか?」
 漠然としていて返答に困る。玲が首をひねると、花凛は再び問いかけてきた。
「じゃあさ、記憶がないって寂しい?」
 それなら答えられないこともない。
「さっき美幸さんをお母さんって呼べなかったってぼくは言ったでしょ。それは太陽が言ってくれた通り悲しいことなんだけど、悲しめないことが悲しいんだよ。それと同じように大切な人がいなくなって本当は寂しいはずなのに、それを寂しいと思えないことが寂しいかな」
 普通に悲しめない。普通に寂しくなれない。まっすぐに悲しんだり、寂しくなったりすることのほうがうらやましい。極端な言い方をすれば憧れさえある。
 花凛は返答に納得したのだろうか。うつむいたまま、うんうんと二度ばかり頷いた。
「ぼくからも二宮さんに質問してもいいかな。一度誰かに訊いてみたかったんだ」
「いいよ」
 低くてかすれた声が返ってきた。
「ぼくとは逆に、記憶があるってどんなふう? 全部覚えているってどんな感じなのかな」
 記憶がない。そのせいで自分を欠陥品と思ってしまう。十歳のときに自分というデータをリセットしてしまった。その後、君は相楽玲という名前なんだよ、美幸さんがお母さんなんだよ、十歳の小学生でここが君の家なんだよ、などと情報が与えられ、そこから相楽玲という人間ができあがった。つまり、記憶ではなく、後天的に獲得した情報で自分という人間は形成された。それがどうにも継ぎはぎだらけに思えてしまう。心までが寄せ集めなんじゃないかと疑ってしまう。自分を自分と言いきる自信がない。これが本当に自分なのかと疑えば、「違う」という言葉が頭に響く。本当の自分がほかにいる気がしてしまう。
 自分を自分と思えない。この不安定さゆえに、なにごとにも自信がない。なにに対しても積極的になれない。夢とか信念とか情熱とか誰もが抱くものがみんな遠いのだ。
 記憶とはきっと安心だ。人の土台だ。喜びでも悲しみでも未来に進む土台となる。それがない自分には何者にもなれないような不安がある。欠陥品の自分からすれば、誰もがうらやましい。その幸福な心境を人から聞かせてもらいたかった。
 だが、花凛の答えは予想に反していた。花凛は畳に視線を落としたまま、低く静かに言った。
「最悪って感じだよ」
 花凛はゆらりと立ち上がると、男子部屋を出ていった。


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〈プロフィール〉
関口 尚(せきぐち・ひさし)
1972年、栃木県生まれ。99年、茨城大学大学院人文科学研究科を修了。
2002年、『プリズムの夏』で第15回小説すばる新人賞を受賞して、作家デビューする。2007年、『空をつかむまで』で第22回坪田譲治文学賞を受賞。
著書に、『君に舞い降りる白』『パコと魔法の絵本』『はとの神様』などがある。
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