連載
ぼくらの遍路は
関口 尚 Hisashi Sekiguchi

 朝起きて歩く。陽が傾けば宿を目指す。疲労が蓄積して体が重い。足はテーピングと湿布だらけ。逃げ出したくなるような毎日だ。
 でも、玲(れい)には恍惚感があった。体の限界を超えてさらに無理やり歩いているとうっとりしてくる。あまりの疲れで頭も体も麻痺しているだけかもしれないけれど。
 夜は短い。夕食を取って、風呂に入り、布団に倒れこんだと思ったらもう朝だ。目を覚まして最初にすることは体が動くかのチェック。急に動くとどこか痛めてしまいそうで、目をつぶったままゆっくり動作確認をする。右手は動くか、左手は動くか、右膝は、右の足首は、それから足の指たちは。続けて左足も同じように。
 痺れに似た疲労が体の隅々にまで根を張っている。ゴールの八十八番札所はまだまだ先だ。今日は最後まで歩けないかもしれない。途中でリタイアしてしまうかも。いや、宿を出発するのでさえ無理な気がする。弱気の虫が全身にびっしりと取りついている。
 しかし、支度をして玄関から一歩目を踏み出せば、不思議と二歩目が出た。二歩目が出れば三歩目も出る。くり返していくとそれは距離を生んだ。
「よし」
 玲は歩きながら自らを鼓舞するためにつぶやいた。出発してから十六日目だ。やっと高知県の高知市に入った。
 二十六番札所の金剛頂寺(こんごうちょうじ)から二十七番札所の神峯寺(こうのみねじ)まで二十七・五キロ。次の二十八番札所である大日寺まで三十七・五キロ。長距離の移動の連続だ。遍路道は海を離れて内陸の深いところへ続いていた。
 あまりの疲労感でモレスキンにスケッチする気にもならない。目にしたものをメモすることはあるけれども、四国の風景も見慣れてきて驚きや発見が少なくなってきた。正直に言えば、同じような景色にうんざりする心持ちもある。
 昨夜のミーティングでは九人目のリタイアが出たと木戸から知らされた。リタイアは体力面でついていけなくなった者がほとんど。足を挫(くじ)いた者が一名。吉田のことだ。
 炎天下を歩く毎日だけれど熱中症は出ていないという。お遍路プロジェクトの運営委員会はその点は念入りに対策を練っていたようだ。気温が上がりすぎた場合、各班のコーディネーターに休憩を指示するメッセージが一斉送信されてくる。いままで四度そうしたメッセージはあった。
 夏のお遍路の難しいところは、気温のみで歩くか休むか判断つきかねるところだ。日陰の多い山間なら歩いたほうがいい。海沿いならば海風で体感温度が低いこともある。また、太陽が真上に位置しているときは菅笠のおかげで日差しを浴びにくいが、午後になると傾いた太陽からの光を全身で浴びてとんでもなく暑い。高知が終わるまで西へ向かうルートだ。午後は正面からの西日を浴びることになる。午後三時なんて全身焼かれているようなものだった。
 リタイア者はここまで九名。ということは、ひと班あたりひとりリタイアしている計算になる。先へ進めばもっと増えるだろう。現在、残りは三十八名だ。いったいどれだけの人数が八十八番札所までたどり着けるのか。スマートフォンで見た天気予報によればこれから五日間は猛暑が続くという。きっとまたリタイア者が出る。それは自分でないとは限らない。
 幸か不幸か高知に入ってから一度も雨に降られていない。それどころか、お遍路をスタートしてから雨に降られたのは一度だけだ。それもすぐに上がってしまった。



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〈プロフィール〉
関口 尚(せきぐち・ひさし)
1972年、栃木県生まれ。99年、茨城大学大学院人文科学研究科を修了。
2002年、『プリズムの夏』で第15回小説すばる新人賞を受賞して、作家デビューする。2007年、『空をつかむまで』で第22回坪田譲治文学賞を受賞。
著書に、『君に舞い降りる白』『パコと魔法の絵本』『はとの神様』などがある。
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