連載
ぼくらの遍路は
12(最終回) 関口 尚 Hisashi Sekiguchi

 お遍路をしに来る以前は、歌えないことも、山西の件も、もはや花凛自身の手には負えない問題となってしまっていた。だから、お大師様の神秘的な力でもなんでもいいから、すべてきれいさっぱり解決してくれないだろうか、なんて考えてお遍路へやってきたのだ。
 もともと信心深くないし、信仰心もない。そのくせ神秘的な力による救いを求めてお遍路に臨んだわけだ。不思議な力が働き、突如として歌えるようになったり、山西が改心してがらりといい人になったりという奇跡をただただ待ち望んだのだ。
 でも、お大師様の神秘的な力も、奇跡も、必要ないのだと気づいた。救われることを求めなくてもいい。願わなくてもいい。
 なぜなら、いまの自分はお遍路を歩き始める以前とは違う。千二百キロを歩くという途方もないことをまもなく成し遂げようとしている自分は、スタート時点での自分と明らかに違う。そして、千二百キロを歩ける自分ならば、歌に関しても、山西の件も、自ら解決できるんじゃないだろうか。そうした力をすでに備えているんじゃないだろうか。
 いまこの瞬間、願いごとが願いごとでなくなったように思えた。
 花凛は再び大師堂で手を合わせ、声に出して唱えてみた。
「また歌います」
 しっくりきた。唱えるべきなのは願いごとではなくて誓いだった。残りの札所では誓いを立てながら歩こう。決意を述べて回ろう。そう決めたら心が明るい予感で満ちていった。
 手を合わせたまま目をつぶる。ステージの上で高らかに歌っている自分の姿が見えた。再始動したピンクバンビが大きな会場で演奏しているのが見えた。多くのファンの支持を得て、充実した日々を送る自分たちがありありと思い浮かべられた。
 成功するイメージしか湧いてこない。わくわくさえした。

 足取り軽く八十二番札所の根香寺(ねごろじ)へ向かった。遍路道はあいかわらずの山道だ。しかし、その遍路道の雰囲気はいままでと異なっていた。進めば進むほど、しんとした静けさに包みこまれていく感覚があった。
 道の脇にある看板の前で足を止める。説明書きによれば、ここは江戸時代からの姿をそのまま残した古い遍路道だという。
 花凛は頭上を見上げた。高い木々の緑が空を覆っていた。木もれ日が少ない。木々のふもとには白いキノコが顔を出している。ここはここでまたメルヘンの世界のようだ。
 恐れ多いような、でも、どこかうっとりとしたような心地で歩みを進めていく。ときとして竹林との出会いがあり、またときとして小さな沢との出会いがあった。なるほど、いままででいちばん手つかずの遍路道だ。現代的な人工物は見当たらない。あるのは江戸時代に設けられた道案内の石柱や一丁ごとの道しるべばかり。
 人の手がぎりぎり入っている。人間はこの自然を横切らせてもらっているだけ。人間があと回しだからこその静謐さがこの古い遍路道にはあった。
 道はゆるやかなアップダウンが続いていた。その心地よい傾斜と静けさのせいで、胸に浮かんでくるリズムもメロディーもゆるやかで静かなものになった。自然と鼻歌がもれる。その鼻歌が足を前へと運ぶ。自分の中から生まれた歌を、自分の耳が喜んで聞いていた。これは久しぶりのことだ。



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〈プロフィール〉
関口 尚(せきぐち・ひさし)
1972年、栃木県生まれ。99年、茨城大学大学院人文科学研究科を修了。
2002年、『プリズムの夏』で第15回小説すばる新人賞を受賞して、作家デビューする。2007年、『空をつかむまで』で第22回坪田譲治文学賞を受賞。
著書に、『君に舞い降りる白』『パコと魔法の絵本』『はとの神様』などがある。
Back number
12(最終回)
11
10