連載
ぼくらの遍路は
12(最終回) 関口 尚 Hisashi Sekiguchi

 集まっていた人たちが花凛の正面に移動する。山西とその夫が正面の最前列を陣取った。動画を撮るために玲が花凛に向かって立ち、元七班のメンバーはその周囲にまとまった。
 剣也の隣に見覚えのあるふたりがいる。金髪とストローハットの二人組だ。ネットの情報を見て駆けつけてきたのだろう。ふたりとも申し訳なさそうに花凛に向かってお辞儀をくり返す。花凛は指でOKサインを作り、もう気にしていないことを伝えた。
 太陽の姿が見えないと思ったら、空の赤いビールケースを掲げてやってきた。
「歌うならみんなから見えたほうがいいと思ってな」
 そばの飲食店から借りてきてくれたようだ。ビールケースを逆さまにして設置してくれる。
「ありがとう」
「むかしの演歌歌手のドサ回りみたいで申し訳ないな」
「いまのわたしにはこのくらいのステージがちょうどいいよ」
「久々で緊張するんじゃないのか」と太陽がぐるりと見回す。「三百人はいるだろう」
「平気、平気。だってわたし一万五千人の前で歌ったことあるんだよ」
「あはは、それなら大丈夫だな。楽しめよ」と太陽は手を振って玲たちの元へ向かっていった。もちろん、楽しみますとも。
 花凛は靴を脱ぎ、靴下も脱いだ。裸足でビールケースの上に立つ。「痛くないのかな」という声が耳に入った。ビールケースの裏底は格子状の仕切りがそのまま剥き出しになっている。素足だと樹脂でできた仕切りが足に食いこんで痛そうに見えるのだろう。
「へっちゃらなんだよね。千二百キロも歩いてきたら足の裏の皮が厚くなっちゃってさ」
 先ほどの声の主が誰かはわからないけれど、ビールケースの上から笑顔で話す。手庇(てびさし)を作って集まってくれた人たちを見渡した。緊張はまったくしていない。理由はわかっている。いま自分は花凛ではなくてカリンだから。スイッチが切り替わったのだ。カリンというステージネームを考案してくれたピコに礼を言いたくてしかたがない。
 群衆の真ん中あたりにオレンジ色の髪の毛をした女の子が見えた。ギターケースを背負っている。松山の大街道(おおかいどう)で会ったあの女の子に違いなかった。
「君、ちょっと来て! オレンジ頭の女の子!」
 花凛は急いで手招きした。オレンジ頭の子が不思議そうな顔で人垣を掻き分けてやってくる。
「ギターのチューニングは合ってる?」
 来るなり尋ねる。
「さっきまで弾いてましたから合ってると思いますけど」
「松山でせっかく弾いてくれたのに歌えなくてごめんね。今度こそ歌うからもう一度弾いてもらってもいいかな、『冬のくちぶえ』をさ」
 オレンジ頭の子の瞳が輝いた。「もちろんですよ」と言うなりケースからギターを取り出す。例のギルドのアコースティックギターだ。ストラップを肩から掛け、チューニングの微調整をする。
「ねえ、あなた本当に歌えるの? ずっと歌えなかったくせに」と山西が語りかけてきた。突然の冷やかな声に集まった人々からざわめきが起こる。見ると山西は意地悪げな笑みを浮かべていた。花凛が歌うのを邪魔したいのかもしれない。
 人差し指をすっと頭上に掲げて花凛は黙った。ほんの数秒のあいだだ。その数秒ですべての人の視線が花凛の人差し指の先端に集まった。



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〈プロフィール〉
関口 尚(せきぐち・ひさし)
1972年、栃木県生まれ。99年、茨城大学大学院人文科学研究科を修了。
2002年、『プリズムの夏』で第15回小説すばる新人賞を受賞して、作家デビューする。2007年、『空をつかむまで』で第22回坪田譲治文学賞を受賞。
著書に、『君に舞い降りる白』『パコと魔法の絵本』『はとの神様』などがある。
Back number
12(最終回)
11
10